未唯への手紙
未唯への手紙
東北地方の自動車産業基地としての強み・弱み
『東北地方と自動車産業』より 東北自動車産業の発展への課題
(1)強みとなりうる要素
第一に技能労働者の豊富な供給余力。これは、トヨタ自動車(以下、トヨタ)が東北地方を第三の拠点として位置づける上で、まさに最も強力な誘因となってきたのだが、東日本大震災後、復興関連事業の本格化に伴う人材需要の高まりによって、早くも黄信号が灯っている。実際、被災地でもある宮城・岩手両県の有効求人倍率は、最近、軒並み全国平均を大きく上回っている。
第二に、技能労働者の定着率が相対的に高いこと。東北地方の人々の純朴さがこれを支えているといわれる。いうまでもなく、これは生産現場でのものづくり能力の蓄積・向上に大きく寄与する。
第三に、高度成長期以来、電機・電子産業で培ったものづくり能力。小物部品の生産を長年行ってきたことや、金型専門メーカーが地域に存在しないために、第3章で登場したA社やC社にみられるように、自社で金型を内製することを通じてその製作ノウハウを身につけたこと、多品種少量生産に対応できることなどがあげられる。
第四に、東北大学などが持っている先端技術シーズ。理工学系では、電気通信など世界的な水準に達している分野を数多く抱えており、この中には次世代自動車向けに活かせる可能性が高いものも少なくない。実際、東北大学はトヨタといくつかの分野で共同研究を行っている。山形大学など他の東北地方の大学工学部でもこうしたシーズはあり、その活用が期待される。
第五に、岩手大学など産学連携に積極的な大学の存在。例えば、岩手大学は卜ヨタ東日本岩手工場に近い岩手県北上市に金型研究センターを設けている。
第六に、工業用地の確保が容易かつ低コストである点。
第七に、既存の工場から一定の距離がある東北地方に生産拠点を持つことは、リスク分散につながる点。直線距離で500キロ以上離れている愛知県豊田市周辺と宮城県仙台市周辺とが同時に大地震に見舞われる可能性は低いだろう。なお、「トヨタの第二の拠点」である福岡県は、直線距離で豊田市と800キロ程度離れており、これまた同時に大地震の被害に見舞われる可能性は低いだろう。
(2)弱みとなり得る要素
その一方で、弱みとなり得る要素も数多い。
第一に、自動車関連産業の集積が圧倒的に不足している。
第二に、地場メーカーが、これまで拠ってきた電機産業に合わせた事業システム・ビジネスマインドに固執する傾向があること。
第三に、地場企業経営者の自動車産業についての経験・理解不足。とりわけ、承認図方式やモデルチェンジサイクルの長さについて。
第四に、自動車メーカーおよび1次サプライヤーの開発および実質的な調達機能が東北地方にはない点。トヨタ東日本は、調達部門の出先組織を宮城県大衡村の本社内、すなわち東北地方に設けてはいるか、調達先の最終的な決定権限は、最終製品の納入先であるトヨタ本社(愛知県豊田市)の調達部門が依然握っているとみられる。さらに、トヨタ東日本の開発機能の主力は、トヨタ本体の東富士研究所に隣接する同社東富士工場内にある。各種報道では、トヨタが、トヨタ東日本が生産している車種について、調達先の決定権限をトヨタ東日本に委譲する方向ともいわれているが、多分に希望的観測に基づいているとみられ、実際のところどうなるかは、現時点では決して楽観することはできない。
第五に、現場管理・開発設計レベルのものづくり人材が圧倒的に不足している。高度成長期以来、電機・電子産業が東北地方に進出して一定の工業集積を形成してきたのであるが、大半の進出企業はその「頭」の部分、すなわち研究・開発機能はそれぞれの創業の地であり、かつ本拠でもある太平洋ベルト地帯に残したことも、この背景にある。工学系の教育・研究機関は少ないながらも確かに存在し、優秀な人材を輩出してきたのだが、こうして受け皿となる企業が地域に存在してこなかったためにその大半が東北地方を後にしてきたのである。したがって、自動車部品についての提案・設計能力が不足している。
第六に、過疎化や少子高齢化の進展、大学進学率の上昇などから、技能労働者の層が意外と薄い点。この点についても詳しくは後述する。
第七に今後、供給先の市場に大きな成長が見込めない点。これは日本国内の自動車組立生産拠点に共通することだが、自動車メーカー各社ともに今後は原則として消費地において完成車組立生産を行う方針である。頼みの日本国内市場も、すでに人口減少局面に入っていることや高齢化の進展、そもそも市場自体が成熟しきっていることなどから、今後拡大は見込めないばかりではなく、縮小していくことが予想される。
(1)強みとなりうる要素
第一に技能労働者の豊富な供給余力。これは、トヨタ自動車(以下、トヨタ)が東北地方を第三の拠点として位置づける上で、まさに最も強力な誘因となってきたのだが、東日本大震災後、復興関連事業の本格化に伴う人材需要の高まりによって、早くも黄信号が灯っている。実際、被災地でもある宮城・岩手両県の有効求人倍率は、最近、軒並み全国平均を大きく上回っている。
第二に、技能労働者の定着率が相対的に高いこと。東北地方の人々の純朴さがこれを支えているといわれる。いうまでもなく、これは生産現場でのものづくり能力の蓄積・向上に大きく寄与する。
第三に、高度成長期以来、電機・電子産業で培ったものづくり能力。小物部品の生産を長年行ってきたことや、金型専門メーカーが地域に存在しないために、第3章で登場したA社やC社にみられるように、自社で金型を内製することを通じてその製作ノウハウを身につけたこと、多品種少量生産に対応できることなどがあげられる。
第四に、東北大学などが持っている先端技術シーズ。理工学系では、電気通信など世界的な水準に達している分野を数多く抱えており、この中には次世代自動車向けに活かせる可能性が高いものも少なくない。実際、東北大学はトヨタといくつかの分野で共同研究を行っている。山形大学など他の東北地方の大学工学部でもこうしたシーズはあり、その活用が期待される。
第五に、岩手大学など産学連携に積極的な大学の存在。例えば、岩手大学は卜ヨタ東日本岩手工場に近い岩手県北上市に金型研究センターを設けている。
第六に、工業用地の確保が容易かつ低コストである点。
第七に、既存の工場から一定の距離がある東北地方に生産拠点を持つことは、リスク分散につながる点。直線距離で500キロ以上離れている愛知県豊田市周辺と宮城県仙台市周辺とが同時に大地震に見舞われる可能性は低いだろう。なお、「トヨタの第二の拠点」である福岡県は、直線距離で豊田市と800キロ程度離れており、これまた同時に大地震の被害に見舞われる可能性は低いだろう。
(2)弱みとなり得る要素
その一方で、弱みとなり得る要素も数多い。
第一に、自動車関連産業の集積が圧倒的に不足している。
第二に、地場メーカーが、これまで拠ってきた電機産業に合わせた事業システム・ビジネスマインドに固執する傾向があること。
第三に、地場企業経営者の自動車産業についての経験・理解不足。とりわけ、承認図方式やモデルチェンジサイクルの長さについて。
第四に、自動車メーカーおよび1次サプライヤーの開発および実質的な調達機能が東北地方にはない点。トヨタ東日本は、調達部門の出先組織を宮城県大衡村の本社内、すなわち東北地方に設けてはいるか、調達先の最終的な決定権限は、最終製品の納入先であるトヨタ本社(愛知県豊田市)の調達部門が依然握っているとみられる。さらに、トヨタ東日本の開発機能の主力は、トヨタ本体の東富士研究所に隣接する同社東富士工場内にある。各種報道では、トヨタが、トヨタ東日本が生産している車種について、調達先の決定権限をトヨタ東日本に委譲する方向ともいわれているが、多分に希望的観測に基づいているとみられ、実際のところどうなるかは、現時点では決して楽観することはできない。
第五に、現場管理・開発設計レベルのものづくり人材が圧倒的に不足している。高度成長期以来、電機・電子産業が東北地方に進出して一定の工業集積を形成してきたのであるが、大半の進出企業はその「頭」の部分、すなわち研究・開発機能はそれぞれの創業の地であり、かつ本拠でもある太平洋ベルト地帯に残したことも、この背景にある。工学系の教育・研究機関は少ないながらも確かに存在し、優秀な人材を輩出してきたのだが、こうして受け皿となる企業が地域に存在してこなかったためにその大半が東北地方を後にしてきたのである。したがって、自動車部品についての提案・設計能力が不足している。
第六に、過疎化や少子高齢化の進展、大学進学率の上昇などから、技能労働者の層が意外と薄い点。この点についても詳しくは後述する。
第七に今後、供給先の市場に大きな成長が見込めない点。これは日本国内の自動車組立生産拠点に共通することだが、自動車メーカー各社ともに今後は原則として消費地において完成車組立生産を行う方針である。頼みの日本国内市場も、すでに人口減少局面に入っていることや高齢化の進展、そもそも市場自体が成熟しきっていることなどから、今後拡大は見込めないばかりではなく、縮小していくことが予想される。
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歴史の終わり? そんなことはない!
『多文化世界』より 文化の進化
タイムマシンの旅から明らかになったことは、人類がまだ原始的な社会動物であった太古の日々と、文明のなかで生活してきたこの何世紀かの間には、神秘的な断絶などないということであった。しかも、進化は止まってしまったと信じる理由もない。むしろ、人類の進化は加速しつつあるとさえいってもよいかもしれない。だからこのあたりで進化論の思考になじんでおこう。進化の観点から人類の歴史を理解すれば、将来を改善するためにいま何をすべきかについて、よりよい情報に基づいた推察が可能になるだろう。文化の進化は随所にある。歴史は、終わるどころか加速している。われわれが目の当たりにしたのは、ここ数百世代にわたる社会規模の急激な拡大である。この過程はまだ終わってはいない。今から約七〇〇世代前の紀元前一万五〇〇〇年頃には、六〇万にも上る数の政治形態がこの地上に存在し、それぞれには何十人規模か何百人規模の人々が含まれていた。今日ではそれが二〇〇となり、それぞれは一〇〇万人単位の人口を持つ。われわれは急速に自然を征服しつつあるが、その結果として、人的環境の相対的重要性が高まっている。機会はもちろん脅威も、ほかの人々からもたらされることがますます増えてきた。それに対応するために、われわれはモラル・サークルを合併し大規模に拡張するようになってきた。このプロセスは、おそらくここ数百世代の歴史のなかで、もっとも目立った進化の傾向である。同時に、何百万年もの間、われわれの祖先が鍛え上げた小集団内の生活への適応の様式もいまだに保たれている。それでも、膨大な数になった人々が豊かな社会生活を築き上げたために、われわれをとりまく環境は目まぐるしい変化のなかにあって、そこでさらに新しいものが生まれてきている。
逆説めいた話になるが、社会が安定的に機能するという条件があってこそ、慣行と技術の急速な変化が可能である。ある集団がその環境に適応するためには、集合的行為が求められる。また集合的行為が可能になるためには、その社会が暗黙の価値観のレペルで文化的に同質であることが必要とされる。文化的同質性があれば、価値観の急速な変化は生じない。というのも、価値観はその大部分が幼少期に獲得され、その後の人生でも維持されるからである。価値システムが変化するためには、何世代もの時間が必要である。そのため、共通の文化的価値観を持つ集団が、集団として環境にうまく反応できる。ただし、たとえ環境の変化が生じて、価値観の変化が生存のために有利だとしても、共有する価値システムを変化させる速度は鈍いであろう。もっとも、価値システムの変化が遅いといっても、文化のない状況に比べれば、その速度は大変速い。文化のない状況とは、変化のメカニズムが遺伝子の変化だけによる状況のことを指す。
人々は歴史の只中にいる。そこでは、凝集性の高い集団が互いに競争し、協力しながら活動しており、諸活動は複雑に織り合わさり、ゲームのようである。ある社会のエリート集団が、モラル・サークルを拡張して、生きとし生けるものすべてをその一員とし、世界中の人類やほかの生き物が、平和に生きていけるすばらしい新世界を作り出そうと望んでもよいだろう。それは目標とすべき立派な理想であるが、今のところ現実味に乏しく、地上の楽園という聖書の空想と同程度の絵空事である。とはいえ、このようにモラル・サークルを拡げていこうという特性があったからこそ、今日のわれわれがあるのであり、それはこの先もさらに続くであろう。われ在り、ゆえに、われ進化す。
タイムマシンの旅から明らかになったことは、人類がまだ原始的な社会動物であった太古の日々と、文明のなかで生活してきたこの何世紀かの間には、神秘的な断絶などないということであった。しかも、進化は止まってしまったと信じる理由もない。むしろ、人類の進化は加速しつつあるとさえいってもよいかもしれない。だからこのあたりで進化論の思考になじんでおこう。進化の観点から人類の歴史を理解すれば、将来を改善するためにいま何をすべきかについて、よりよい情報に基づいた推察が可能になるだろう。文化の進化は随所にある。歴史は、終わるどころか加速している。われわれが目の当たりにしたのは、ここ数百世代にわたる社会規模の急激な拡大である。この過程はまだ終わってはいない。今から約七〇〇世代前の紀元前一万五〇〇〇年頃には、六〇万にも上る数の政治形態がこの地上に存在し、それぞれには何十人規模か何百人規模の人々が含まれていた。今日ではそれが二〇〇となり、それぞれは一〇〇万人単位の人口を持つ。われわれは急速に自然を征服しつつあるが、その結果として、人的環境の相対的重要性が高まっている。機会はもちろん脅威も、ほかの人々からもたらされることがますます増えてきた。それに対応するために、われわれはモラル・サークルを合併し大規模に拡張するようになってきた。このプロセスは、おそらくここ数百世代の歴史のなかで、もっとも目立った進化の傾向である。同時に、何百万年もの間、われわれの祖先が鍛え上げた小集団内の生活への適応の様式もいまだに保たれている。それでも、膨大な数になった人々が豊かな社会生活を築き上げたために、われわれをとりまく環境は目まぐるしい変化のなかにあって、そこでさらに新しいものが生まれてきている。
逆説めいた話になるが、社会が安定的に機能するという条件があってこそ、慣行と技術の急速な変化が可能である。ある集団がその環境に適応するためには、集合的行為が求められる。また集合的行為が可能になるためには、その社会が暗黙の価値観のレペルで文化的に同質であることが必要とされる。文化的同質性があれば、価値観の急速な変化は生じない。というのも、価値観はその大部分が幼少期に獲得され、その後の人生でも維持されるからである。価値システムが変化するためには、何世代もの時間が必要である。そのため、共通の文化的価値観を持つ集団が、集団として環境にうまく反応できる。ただし、たとえ環境の変化が生じて、価値観の変化が生存のために有利だとしても、共有する価値システムを変化させる速度は鈍いであろう。もっとも、価値システムの変化が遅いといっても、文化のない状況に比べれば、その速度は大変速い。文化のない状況とは、変化のメカニズムが遺伝子の変化だけによる状況のことを指す。
人々は歴史の只中にいる。そこでは、凝集性の高い集団が互いに競争し、協力しながら活動しており、諸活動は複雑に織り合わさり、ゲームのようである。ある社会のエリート集団が、モラル・サークルを拡張して、生きとし生けるものすべてをその一員とし、世界中の人類やほかの生き物が、平和に生きていけるすばらしい新世界を作り出そうと望んでもよいだろう。それは目標とすべき立派な理想であるが、今のところ現実味に乏しく、地上の楽園という聖書の空想と同程度の絵空事である。とはいえ、このようにモラル・サークルを拡げていこうという特性があったからこそ、今日のわれわれがあるのであり、それはこの先もさらに続くであろう。われ在り、ゆえに、われ進化す。
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OCR化した8冊の本
ダンダリンから見た、存在の力
TVドラマダンダリンに見る、意思の力から存在の力へ。存在の力を発揮するためには、見た目を気にしないことです。
そのためには、全ての人がカラスが白いと言っても、自分は黒いと言う。見たものだけを信じる。それで動く。
お金というものは、人が認めているので、価値があるだけです。自分が価値を認めないと価値がない。リングはそれ自体に価値がある。哲学的な感覚です。組織というのは、人から見られているから、持ちこたえているだけです。意思の力は力ではない。いくらでも、無視することができる。
自分中心心理学
周りは敵だらけというときは、周りを気にしているからです。自分を中心にすれば、敵は居なくなる。それが自分中心心理学を述べている。
社会は本当に契約なのか。これも意志の力です。存在の力ではない。存在に対するルールはもっと違います。
OCR化した8冊の本
『東北地方と自動車産業』
東北自動車産業の発展への課題
東北地方の自動車産業基地としての強み・弱み
越えなければならない課題
むすび
『多文化世界』
タイムマシンに乗って歴史を旅する
五〇〇万年前から一〇〇万年前まで--寂しく暮らす祖先たち
一〇〇万年前から四万年前--氷と火
四万年前から一万年前--創造の光、絶滅
一万二〇〇〇年前から七五〇〇年前まで--村落と農業
文化的な多様性と変化の源
歴史の終わり? そんなことはない!
利己主義を超えた進化--個人よりも集団
生命の流れにおける個人と制度
現在も進化している
『マーシャル諸島の政治史』
国内経済開発政策と国民の労働観
国内経済の特徴と政府による経済政策
『政治の起源』
政治の必要性
民主主義世界の病
危機に陥ったアメリカの政治制度
無国家という幻想
政治制度を機能させる3つの要素
政治制度発展の条件
イスラム教徒の部族主義からの脱脚
オスマン帝国に軍事奴隷制度が採用された理由
イスラム教国家最大の障害は強力な部族制
軍事奴隷の諸起源
ソクラテスの「正しい国家像」
家族関係の弱体化を招いたキリスト教
ヨーロッパ例外論
マルクスとウェーバー
身分から契約へ
カトリック教会がヨーロッパ社会に与えた影響
欧州で国家が建設された社会的背景
『ギリシャ人の真実』
ギリシャ人とはこんな人たち
「ギリシャ人」というプライド
「心意気」にみる日本人とギリシャ人
強烈な郷土愛
困難を生き抜くための知恵
お金持ちも貧乏な人もスローライフ
町の明暗を分けた「郷土愛」
神々に祝福された大地
ギリシャに未来はあるのか
日常化する不法滞在外国人
そして今、底は見えたのか?
やはり愛すべきギリシャ人
『農業と人間』
開かれた議論のために
成長経済から成熟社会へ
雇用機会としての農業
食料輸入国の立場から
他者への配慮
『「まわりは敵だらけ!?」と思ったら読む本』
「自分中心に生きる」レッスン
「自分のためだけに動く」レッスン
「宿敵との争いを降りる」レッスン
「堂々と相手に主張する」レッスン
「相手の戦意を失わせる」レッスン
「自分の気持ちを解消する」レッスン
「できることから行動する」レッスン
『社会契約論』
社会契約論」とはどんな思想だろうか
国家vs.個人 戦後日本と社会契約論
いま社会契約論をどう読むか
市場の秩序と約束の秩序
約束から一般性へ
TVドラマダンダリンに見る、意思の力から存在の力へ。存在の力を発揮するためには、見た目を気にしないことです。
そのためには、全ての人がカラスが白いと言っても、自分は黒いと言う。見たものだけを信じる。それで動く。
お金というものは、人が認めているので、価値があるだけです。自分が価値を認めないと価値がない。リングはそれ自体に価値がある。哲学的な感覚です。組織というのは、人から見られているから、持ちこたえているだけです。意思の力は力ではない。いくらでも、無視することができる。
自分中心心理学
周りは敵だらけというときは、周りを気にしているからです。自分を中心にすれば、敵は居なくなる。それが自分中心心理学を述べている。
社会は本当に契約なのか。これも意志の力です。存在の力ではない。存在に対するルールはもっと違います。
OCR化した8冊の本
『東北地方と自動車産業』
東北自動車産業の発展への課題
東北地方の自動車産業基地としての強み・弱み
越えなければならない課題
むすび
『多文化世界』
タイムマシンに乗って歴史を旅する
五〇〇万年前から一〇〇万年前まで--寂しく暮らす祖先たち
一〇〇万年前から四万年前--氷と火
四万年前から一万年前--創造の光、絶滅
一万二〇〇〇年前から七五〇〇年前まで--村落と農業
文化的な多様性と変化の源
歴史の終わり? そんなことはない!
利己主義を超えた進化--個人よりも集団
生命の流れにおける個人と制度
現在も進化している
『マーシャル諸島の政治史』
国内経済開発政策と国民の労働観
国内経済の特徴と政府による経済政策
『政治の起源』
政治の必要性
民主主義世界の病
危機に陥ったアメリカの政治制度
無国家という幻想
政治制度を機能させる3つの要素
政治制度発展の条件
イスラム教徒の部族主義からの脱脚
オスマン帝国に軍事奴隷制度が採用された理由
イスラム教国家最大の障害は強力な部族制
軍事奴隷の諸起源
ソクラテスの「正しい国家像」
家族関係の弱体化を招いたキリスト教
ヨーロッパ例外論
マルクスとウェーバー
身分から契約へ
カトリック教会がヨーロッパ社会に与えた影響
欧州で国家が建設された社会的背景
『ギリシャ人の真実』
ギリシャ人とはこんな人たち
「ギリシャ人」というプライド
「心意気」にみる日本人とギリシャ人
強烈な郷土愛
困難を生き抜くための知恵
お金持ちも貧乏な人もスローライフ
町の明暗を分けた「郷土愛」
神々に祝福された大地
ギリシャに未来はあるのか
日常化する不法滞在外国人
そして今、底は見えたのか?
やはり愛すべきギリシャ人
『農業と人間』
開かれた議論のために
成長経済から成熟社会へ
雇用機会としての農業
食料輸入国の立場から
他者への配慮
『「まわりは敵だらけ!?」と思ったら読む本』
「自分中心に生きる」レッスン
「自分のためだけに動く」レッスン
「宿敵との争いを降りる」レッスン
「堂々と相手に主張する」レッスン
「相手の戦意を失わせる」レッスン
「自分の気持ちを解消する」レッスン
「できることから行動する」レッスン
『社会契約論』
社会契約論」とはどんな思想だろうか
国家vs.個人 戦後日本と社会契約論
いま社会契約論をどう読むか
市場の秩序と約束の秩序
約束から一般性へ
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