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エジプト文明 砂と大河に守られたひとりぽっちの幸せ

『世界歴史』より

古代エジプト文明を考えるとき、思いつく言葉の一つは、「ひとりぽっちの幸せ」です。

エジプト文明は、他の文明地域から切り離されて孤立していました。

まず、エジプトの西には、有力な異文明が存在しませんでした。南には、アフリカの諸部族が存在しましたが、彼らが農耕中心の生活に入るのは、だいぶあとになってからです。東には、メソポタミア文明をはじめ、オリエントに、さまざまな民族が都市をつくりましたが、彼らとの距離は遠く、紅海やシナイの山々も障害となったでしょう。

何といっても、エジプトをとりまく砂漠の存在こそ外界を遠ざけたに違いありません。

エジプトの人々は、死後の再生を信じて、遺体をミイラにしました。そのミイラをエックス線で研究した科学者たちは、古代エジプト人に、歯槽膿漏などの歯の病が多かったことを報告しています。その原因も、吹き荒れる砂嵐にあったといわれます。砂は、古代エジプト人が大好きであったパンの中にもまじりこみ、権力絶大の王たちも、歯槽膿漏で生命を落としているのです。ナルメル王からクレオパトラ七世の時代まで続いた強いアイラインの化粧は、砂から眼を守るためでもあったでしょう。

こんな砂漠にかこまれて孤立しているのは、文明にとって、多くの悪条件をかかえていることでもあります。

それにもかかわらず、エジプト文明はスケールの大きなものに育ちました。その力の源泉こそ、ナイル川なのです。「ナイルなければ、すべてなし」とか、「すべては、ナイルからはじまる」というのは、三千年の古代エジプトにも、現代のエジプトにも共通する実感です。

私は、何度か飛行機に乗って、ナイルの上を飛びました。ナイルの両岸に沿って続く緑。その外側にひろがる赤く灼けた砂漠。あまりの激しい対照は、いつ見ても、わが目を疑いたくなるほどです。この緑こそ、エジプトを支えつづけてきた力でしょう。古代エジプト崩壊後、今度はローマ帝国の穀物倉とうたわれた農業生産も、ここから生まれたのです。

ナイルの最大の特色は、定期的に氾濫をくり返すところにありました。だから、エジプトの人々にとって、ナイルの氾濫は、恐ろしいものではなく、「天の恵み」と感じられたのです。氾濫したナイルは、一時的に、緑の農地をおおいつくします。しかし、氾濫がおさまるにつれて、水はゆっくりと引いていきます。そして、そのあとには、ナイルがはるか上流から押し流してくれた豊かな黒い土が残ります。この軟らかくて、栄養のたっぷりある土地に種を播けば、みごとな収穫が得られる。次の氾濫がやってくるのは、この収穫のあと、大地がカラカラに乾き切ってしまってからです。

ギリシアの大歴史家ヘロドトスは、「一年という単位を発明したのは、エジプト人であり、一年を季節によって、十二の部分に分けたのも、エジプト人である」と、いまから二千五百年あまり前に書いています。

それも、すべてナイルの氾濫を予知して、その恵みにもとづく農作業を進めていくうちに、生まれてきた知恵に違いありません。予知できない天災をもたらして、人々を恐れさせる他の多くの川と、ナイルは異なっていたのです。

ヘロドトスの当時でさえ、ナイルがなぜこのような性質をもっているのか、真相をつきとめた者はありませんでした。ナイルがいったいどこから流れてくるのか、エジプトの人々も知らなかったのです。豊かに流れるナイルは、エジプトを離れて、上流にさかのぼるにつれて、六つの激しい急流(カタラクト)が、船の航行をはばみます。ナイルの源流がつきとめられたのは、いまからわずか百五十年ほど前のことです。

ナイルは、全長六千七百キロにおよぶ川で、その水源も二つあります。一つは、アフリカ最大のビクトリア湖。もう一つは、エチオピア高原。それぞれから発した白ナイル、青ナイルと呼ばれる二つの川が一つになって流れ下っていくのです。この二つの水源には、一年に一度、大きな雨季があり、それが終わるのが五月。そして、その増水が、はるか下流のエジプトに達するのは七月なのです。水源地の降雨が定期的であること。水源地からの距離が離れていて、途中の土地が、緩衝作用を果たしていること。大規模濯漑農耕にもとづく文明にとって、ナイルはじつにすばらしい恵みでした。

もちろん、古代エジプトの人々は、ナイルの恵みをさらに利用するために、運河を作ったり、さまざまな努力を重ねてきました。いまでも、エジプトの大きな町には、一年を通して、ほとんど雨の降らないところが少なくありません。

雨が降ってくると、「オヤッ、川が空からやってきた」という冗談がきかれるほどなのです。
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私たちはどうしたらよいのか

『世界歴史』より

こんな時に、歴史を振りかえって考えるというのは、なかなか実りの深いものです。

文明以前の人間たちにも、もちろん欲望というものはあったでしょう。それが環境の条件と合わないこともあったかもしれません。狩りの獲物になる生物とうまく出会えないことが続いたりした場合、飢えてやせたり、とうとう死んだりしたこともあったかもしれません。

それでも多くの場合、彼らの生と死は、大自然の運行の中にありました。人間はその中で、頑張って生きてきました。文明以後の私たちは、欲望の過剰を戒める正義を作り出しましたが、それは多くの生物にはなかったことです。自分たちが作り出しつづける道具が、何か怖ろしいものを生み出しはしないかと感じはじめたのかもしれません。

文明以後の人間は、おとなしいとみえる草食獣を愛し、それを食べる肉食獣を憎みました。時には、人間の正義をふりかざして狼を殺したりしたこともあります。

しかしこれは、正義どころか、逆効果であることが、研究が進むにつれて判りました。島などで狼を殺すと、鹿の数は急に増えました。ところが数年すると、今まではなかった病が鹿の間で流行し、さらに鹿が増えると、草や木まで食べつくされて、ついにある日、島全部の鹿が死んでしまったのです。肉食獣は、草食獣よりはるかに数は少なくしか増えません。両方の間には、生の緊張があり、それが双方の数を適当に維持するのです。つまり肉食獣も大切なその一方の担い手なのです。双方のあいだに、善も悪もありません。

組織的に農業を始めた時、つまり文明がスタートした時から、だんだんと、正義の観念が人間の間にひろまっていきました。

はじめは、それは強大なものではなかったでしょう。はじめのうち、人間は必要とする以上に求める欲望などは実現しなかったから、正義もあまり必要なかったでしょう。

だんだん権力者が作られるようになりました。放っておくと欲望をいくらでも追い求める権力者が生まれました。そして、それぞれの地方で、「権利を自制してください」という教えを説く人が現われてきました。正義が欲望と対照的に織られていく歴史が、自覚されはじめました。

今日では巨大なピラミッドは、権力者が自分たちの墓を巨大化することだけが目標だったとは考えられていません。エジプトの農業は、ナイル川の与えてくれる水によって成り立っていた。その水が少ない時期には、農業だけで働く人の多くは飢えた。王は自分の独占していた富の一部を放出して、ピラミッドを作った。ピラミッド制作中、雇われた人々はパンやビールなど食を獲得した。つまり今日の公共事業のような性質のものだったと説く人々の説が有力となりました。

しかし、富を求める権力者と毎日の食に苦しむ多くの人々の大きな裂け目は、なかなか埋まりはしなかったのです。

古代中国の孔子(二千五百年ほど前)は、権力者に自制の礼節を説いた人として有名です。しかし、その後の中国の権力者とその追随者たちは、時によって独善的な享楽を楽しみました。

キリストと後世呼ばれたイエス(二千年前)は、その刑死後、ローマ帝国後期のヨーロッパに大きな宗教を生み出しました。貧者のために天国はあるとする観念も生まれました。発展した商業の有力者は、権力者以上の富を獲得していましたが、もし「天国」が存在し、しかも「貧しくない」とそこに入れないとなると、彼らの死後は大変不幸です。イタリアのフィレンツェの大金融王となったメディチ家を大きく育てたコジモーメディチは、豪華な自宅の名画に飾られた祈祷室で、毎夜自己の罪(!)を告白し、神の救いを涙ながらに求めたとも伝えられています。

しかし、本当に働く人たちの、いわば「貧民の天国」が、現世に出来あがったのが二十世紀であることは、本書をお読みになった方のよくご承知のとおりです。

歴史の織物の中の、欲望と正義は、はじめて地球上に生きた姿を現わしたのです。

すべての人々の幸福のために! あらゆる産業がそこに集中し競争しました。

その姿はあまりに慌ただしく、多くの過ち、多くの不正を生み出しました。

十五、十六世紀以後、少しずつ正統性を認められてきた「科学」も、この泥沼の中に一挙にはまりました。産業と結びついた科学は、多くの公害を発生させ、大事故を起こしました。それに対して「正義」を説く宗教も、同じく泥沼に落ちてしまいました。同じ宗教の分派同士が、相手を敵として攻撃し、多くの争いを起こし、死者を増やしました。まさに欲望の担い手も、正義の担い手も、だんだんに歪んだ存在になってしまったのです。

七十億という人口にあっという間に駆け登った人間は、環境である地球とさまざまな相克を次々に生み出してしまいました。急激に繁栄を我が手に収めたと思った人間は、その途端、破滅に足をかけてもしまったのか。

まさに文明最大の危機に、私たちは慄えているのです。
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健康心理学 肥満

『よくわかる健康心理学』より

①肥満とは

 厚生労働省による平成21年国民健康・栄養調査結果の概要によれば、成人全体の肥満者の割合は、男性が30.5%、女性が20.8%であると報告されています。「健康日本21」(コラム3参照)の目標値には20-60代の男性肥満者を15%以下にすること、40-60代女性の肥満者を20%以下にすることが挙げられていますが、男性肥満者の推移は増加傾向をたどり、目標値に届いていません。女性の肥満者は減少傾向を示していますが、目標は達成されていません(図4.6.1参照)。

 ところで、「肥満」とはどういう状態をいうのでしょうか。肥満とは「体脂肪が必要以上に多く蓄積された状態」といえます。体脂肪がどれだけ体に蓄積しているかを示す体脂肪率によって肥満の判定が行われますが、現在は男性で20%、女性で30%以上の体脂肪率の状態を肥満と呼んでいます。しかし、体脂肪率を直接測るのは難しいのでBMIを肥満の判定に用いるのが一般的です。日本肥満学会ではBM125以上を肥満としており、さらに肥満を4段階に分けています。肥満の原因としては、高カロリーの食事と運動不足によるカロリー収支のアンバランス(摂取カロリー>消費カロリー)がまず挙げられますが、遺伝的要因も指摘されています。

②なぜ肥満は問題なのか

 これまでの多くの研究から、肥満は生活習慣病を始め、さまざまな病気を引き起こす「危険因子」であることがわかっています。たとえば、2型糖尿病は肥満との関連が指摘されており、肥満の人は普通体重の人に比べて、インスリンのブドウ糖(血糖)分解能力が低下していることが明らかになっています。また、肥満は「脂肪という名の荷物」を抱えている状態ですから、階段の昇り降りなどの際に関節にかかる負担は大きく、その結果腰痛を引き起こしたり、関節が変形したりします。その他にも脳梗塞、冠動脈疾患、睡眠時無呼吸症候群、月経異常などの危険因子となっており、肥満はさまざまな病気を引き起こす要因なのです。

③肥満を解消するには

 このように肥満は私たちの健康にとって非常に大きな問題です。そのため、さまざまな肥満解消のための取組みが考え出されてきました。しかし、肥満解消はなかなか難しく、どのような方法を用いたとしても、体重を減らし、5年以上その状態を維持している人は5%ほどしかいない、と言われています。肥満予防教育や適切な食習慣、運動習慣の形成などによって、適正体重を維持し、肥満を防ぐということがまず大事です。

 肥満の状態にある人が体重を減少させるためには行動療法や認知行動療法といった方法が有効であるとされています。これらの方法では、①現在の状態(体重、 BMI、食習慣、運動習慣)の把握、②具体的な目標の設定(例:1年後の体重を○Okgにする)、③食事(摂取カロリーの制限)および運動(消費カロリーの増大)、④定期的なチェック(例:決められた日に体重測定を行う)、といった手続きを基本として、それぞれのケースに応じたさまざまな技法(表4.6.2参照)を用いて体重の減少を図ります。まずは現状を把握して、問題のある生活習慣を改善する、というのが肥満解消の基本的枠組みになります。

 なお、肥満解消に向けての取り組みを行う際にはいくっかの注意があります。それは、①減量の必要性をきちんと認識する(意義・目的の明確化)、②食事の改善と運動の両方を行う(片方だけではあまり効果が期待できない)、③ゆっくりではあるが確実な減量を心がける(半年で10%程度)、④長期間にわたって遂行可能な内容(食事管理・運動)にする、といったものです。これらの点に注意しながら、無理のない計画を立てて体重を減少させることが挫折を防ぐ意味でも重要になります。
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さらに旅はつづく

さらに旅を続けます

 帰ってからも、50冊以上の本を片付けました。それらは何かを言おうとしています。各国への歴史に関するものがOCRの対象になっています。

 これは、街を訪問して、何かを掴もうとすることと、元にあることをつなげようとすることと一緒です。

 ドイツの駅に着いた時の感覚と、何かを得られた時の感慨は忘れられない。同じことを新刊書に感じていた。効率と深さは本の方が大きいけど、印象は訪問したことには比べられない。

 旅と今の生活・人生とはつながりました。旅の目的は自分であると同時に、人生の目標も同じです。それが確認できた。

ITの存在理由

 リッチマンが終わりました。他愛ないといえば、他愛ないです。

 今までのITとか技術は本来、思いがあって作られたモノです。ビル・ゲイツとかスティーブ・ジョブスが習ったのは、パソコンとかスマホを作りたかったわけではない。個人の環境を変えて、社会を変えたかった。パソコンを作り、ネットワークを作る目的は単にゲームをするためではない。

 iPad,iPhoneについても同じです。ジョブスがやりたかったのは、社会を変えて、歴史を変えたかった。個人の戦力化がしたかった。個人が自分でできるようにしたかった。自分でできるようにしたかった。情報の分散ではなく、制約をなくすことです。それによって、新しい社会を作っていくのが目的だったはず。

 それによって、新しい社会を作っていくのが目的だったはず。その目的を継承しないといけない。そして、貫徹しないと。

エコットの存在理由

 エコットについても同じです。元々の目的は、インタープリターを育てるとか、子どもへの教育ではない。環境社会に適応させた暮らしを皆で考える場です。考えたら、行政を動かして、地域から変えていくという発想です。

奥さんの価値観

 奥さんの思考を生かしていくことも、今回の旅のテーマです。一つの価値観ではなく、両極端です。それをどう活かしていくのか。そのためには、自分自身の存在をなくすことです。存在が社会から見えていないことが確実に分かりました。

 今回、得たことを見えるカタチにしたけど、他の人には見えていない。逆に言うと、ここから始めないといけない。全てをゼロにしていく。そして、集中していく。考えることだけが答えです。

 今回は、奥さんのお金を使って、自由なことをしてきた。それを何となく許してもらった。それなりに、心配する人もいるということです。これを無にしてはいけない。

 身体の調子から言って、先が長くないのは確かです。動くことよりも考えることに集中させて、答えを見つけていく。

日本の集団性とIT活用

 ヨーロッパで感じたのは、ITで社会が変わるということです。個人主体の社会は変わってきている。個人からの発信がドンドン増えていくでしょう。ギリシャの家族主義的な要素とか、イスラム的なところも変わってきている。そのベースがITなんでしょうね。

 日本の場合は、集団性のために、それを制御させようとします。それは日本の弱体をもたらせます。だから、とやかく言っていてもしょうがない。社会は変わっていきます。

 その制御は生きてきません。販売店用に採用するWindow8にしても、企業だけで使う打かです。スタッフはインターネットを生の形で使おうとします。企業という組織そのものが瓦解します。そのときに何をしたらいいのか。答えはネットワークであり、システムです。

 その分野をパートナーに託しましょう。組織に縛られない、唯一の人間です。

車が命のそばを駆け抜ける社会

 そんな車をいつまで存在させるのか。道路の幅を狭くすることです。オランダでは、4車線の内、3車線を自転車用、歩道に切替えた。ベルギーの住宅地も2車線の内、一車線を住宅者の駐車場にしている。車は狭い所を、ゆっくり走ればいい。

 企業でも、人と制御しているのに、車はどこからも制御されないのは、論理的ではない。公共の概念が違うのでしょう。

食生活
 
 食生活は以前に戻します。朝は、クッキー一つで十分です。歯が悪くても、ドリップコーヒーとあわせれば、当分、食べられます。考えることが中心になれば、余分なものはいらないです。
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