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グローバルーエコノミーの形成とアメリカ

『アメリカ』より

地球上の諸地域の人々の接触が深まるという意味では、グローバル化は過去五世紀のあいだに、世界諸地域の接触と結びつきとはしだいに発展し深化してきた。しかしグローバル化のための通信・輸送手段が急速に進歩したのは過去数十年のことであり、「グローバル化」「グローバル時代」ということばが広まったのは一九九〇年代からである。それはふたつの理由による。ひとつは八○年代末から九〇年代初頭にかけて、それまで社会主義計画経済をおこなっていたソ連および東欧諸国が共産党独裁を放棄して市場経済に移行し、膨大な人口をもつ中国が共産党支配を維持しつつ「社会主義市場経済」を標榜して積極的に世界市場への参入を開始し、アジアのもうひとつの巨大国家インドも計画経済から開放政策に転換して、市場経済地域が世界規模に拡大したことであり、ふたつは九〇年代にインターネット通信の急速な普及がアメリカから世界に広がったことである。

グローバル化とは輸送手段、通信手段の発達により、人・「もの」・「かね」・情報の移動が容易になり、とくに「かね」の移転を含む情報送信が瞬時におこなうことができるようになって、空間的な距離の意味がうすれたこと、それにより経済活動が特定の地域や国をこえて世界的規模でおこなわれるようになったことをさす。グローバル化を可能にした技術的革新はいろいろあるが、まず通信衛星の発達による遠距離通信の瞬時化・大量化が起こり、それがコンピューター技術の発達と結びついて、情報の集積・処理・伝達の速度に革命的な変化をもたらし、さらにインターネットの普及があって、グローバル化を促進したといえよう。経済活動のグローバル化は人や「もの」の輸送手段の発達に促され、またGATTやWTO(世界貿易機関)を舞台とする世界的な貿易自由化交渉の推進により助長されたが、また情報技術における革命の成果を企業が活用することによって発展した。

グローバル化と情報技術革命(IT革命)とは世界の国々のそれまでの経済社会構造をゆるがし、人々の生活を不安定にする面があったから、その流れのなかで経済的に急成長する国がある一方、成長が失速する国もあり、同じ国のなかでも上昇する機会をえる人々がいる一方、下降する人々もあった。また国境をこえた文化の相互浸透の急速な進行は融合とともに摩擦を生んだ。そのため世界には国際協調、グローバルな市民社会、グローバルな価値観の共有に向かう動きよりは、排外主義や宗教的敵対意識が台頭して、国際的対立のみならず多くの国においで国内的対立が目立つようになった。

グローバル化を可能にした技術革新はアメリカから始まったものであり、アメリカは世界の超大国としてグローバル化時代、IT革命を先導し、世界を変えたが、それとともにアメリカも急速に変化し、アメリカの経済社会は流動化するとともに不安定化した。グローバル化により外国の産品がアメリカ市場に大量に流入し、アメリカ企業が低廉な労働力を求めて生産拠点を国外に移すようになるにつれ、また情報技術の革新によってコンピューターの事務処理能力が向上するにつれて、アメリカでそれまで安定した職場で比較的よい給料をえていた多くの熟練労働者や事務職員が職を失い、より低い給料の仕事に移った。こうして七〇年代半ばから、中流階級の分解傾向が生じた。実際には、アメリカではこの間に失われた雇用を上回る数の雇用が生み出され、多数の移民を受け入れながら失業率はそれほど上がらなかったが、あらたな雇用はサービス産業部門の賃金の低い職種が多かったのである。多くの工場が閉鎖され労働者が雇用を失うとともに、労働組合員の数が減少し、団体交渉力と政治的影響力を弱めた。全労働者の組織率は八三年の二○%から二○○九年にはコ丁四%にさがっている。

第9章で述べたように、レーガン大統領はグローバル化に対応するため、日本をはじめ諸外国にたいして国内市場のより積極的な開放を要求し、またカナダとの自由貿易協定を結んで、広域市場の形成をはかった。(広域自由貿易市場形成の政策は、彼の後継者ブッシュ大統領に継承されて、メキシコを含めた北米自由貿易協定となり、それは民主党のクリントン大統領にも支持されて九四年に発効した)。

アメリカは一九八〇年代に緩やかな経済成長を続けたが、レーガンの「アメリカに朝が来た」という八四年の楽観論はしだいに色あせた。アメリカの力の相対的低下を歴史的に論じたポールーケネディの『大国の興亡』や、多くのアメリカ人にとってよりよい未来への期待ができない状況を語ったポIルークルーグマンの『期待の低下する時代』が広く読まれたのは、八○年代末から九〇年代初めであった。その時期にアメリカは短い不況に陥ったが、九〇年代半ばまでには、一時アメリカの脅威とみられた経済大国日本が経済的停滞に苦しんでいることが明らかになり、同年代後半にはアメリカはあらたな繁栄期に入ったので、アメリカには冷戦後の世界における唯一の超大国というアメリカの地位はゆるがないという自信が蘇った。

九〇年代後半のアメリカ経済の好調は、情報技術の発展がアメリカの労働生産性を高めたこと、世界市場経済の形成期に情報技術を活用して国際金融業が著しい発展を示したことなどによる。アメリカはかつて世界一を誇った多くの製造業分野で優位を失ったが収益の大きい先端技術産業を発達させ、国際金融業界におけるアメリカの地位をいっそう強化することにより、世界の中心国としての地位を保持していた。先端技術産業の開発は先端的科学研究と結びついていたから、主要な大学も威信と収益とを兼ねて、先端的研究の推進に力を入れた。九〇年代後半の好況期には、富裕層の所得が増えて貧富の格差はさらに拡大したが、失業率の低下により「貧困ライン」以下の最下層の人口比率は減少したので、中流階級は分解しつつ再編される過程にあるかのようにみえた。

アメリカの世界的大企業としてかつて知られたUSスティールやゼネラルーモーターズ、フォードなどの会社は昔日の勢いを失ったが、それに代わって、インテル、マイクロソフト、アップル、グーグル、アマゾンなどIT関連企業やインターネットービジネス企業が急成長した。九〇年代には、新産業革命というべきIT革命に牽引されて成長するアメリカ経済をさして、楽観的に「ニュー・エコノミー」ということが一般化した。
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ベルギー王立図書館と王立美術館

午前中は別行動

 今日は天気が悪いのか、まだ暗いですね。今日は、午前中は奥さんとは別行動です。私は王立図書館で、奥さんはチョコレート工場などで忙しく回るそうです。

ドイツのスタバ

 ブルッセル中央駅のトイレは50セントです。だから、となりに合った、スタバで小銭を用意した。ヨーロッパで最初のスタバです。日本よりもかなり安いです。

 去年のロバニエミ訪問の時、ヘルシンキ空港のスタバは近日オープンになっていたけど、まだ、オープンしていなかった。

ベルギー王立図書館

 王立図書館ですけど、本がなくて、他のものに凝っている。入るつもりがなくなった。そういう意味では静寂をまもっているし、コンセルジェは何か、別対応で、席にはいなかった。

 自動販売機が地下にあります。コーラが1.1ユーロです。格安です。ここのトイレも水も只です。その代わりに、誰も来ていない。

王立美術館

 案の定、22分遅れで奥さんは来ました。当てにならない。電車に乗り遅れたそうです。まあ、30分でなくて、良かった。30分を超えると、それぞれは別行動になります。それがルールです。

 王立美術館のルーベンスは湿度の関係で退避中です。明日のルーブルに期待しましょう。広すぎるから、見つける自信はありません。
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