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ロシア経済 外資が出揃った自動車産業

『ロシア経済の基礎知識』より

 旧ソ連崩壊直後から今日までの流れ

 旧ソ連崩壊後のロシアの自動車産業は大きく四つの段階を経て発展してきた。最初の段階である1990年代は、自動車取引は秩序立っておらず、すべてグレースキームで売買が行われていた。 1990年代の終わりごろにディーラー網が構築され、販売が集中化・体系化された。この時期に外国企業と現地企業との合弁や外国企業単独による生産プロジェクトがあったが、いずれも失敗に終わっている。

 次の段階は1990年代後半~2000年代前半である。1998年にロシア国内に工場を建設する自動車メーカーに対して、生産開始後、一定期間内にしかるべき現地調達率を達成することで、自動車部品の輸入関税を減免するスキームが初めて導入された。これにより2000年にフランスのルノーがモスクワ市政府と合弁でモスクワ市で、2002年にはフォードがレニングラード州で乗用車生産を始めた。それ以外にも、組み立て専業メーカーであるアフトトルがカリーニングラード特別経済地域で1997年に起亜自動車(韓国)の乗用車生産を開始した。

 3段階目は連邦政府決定第166号(「工業組み立て」。部品メーカーを対象としたものは連邦政府決定第566号)が導入された2005年以降である。「工業組み立て」は生産開始後、54ヵ月以内に現地調達率30%を達成することを条件に、7~8年にわたり、通常5~20%の組み立て用部品の関税を0~5%に減免するものである。この措置により、トヨタ自動車、日産自動車、フォルクスワーゲン(VW、ドイツ)、ゼネラルモーターズ(GM、米国)、PSAプジョー・シトロエン(フランス)、三菱自動車、現代自動車(韓国)といった世界のメジャープレーヤーがロシア国内に相次いで工場を建設し、自動車生産を行うこととなった。

 4段階目は2008年のリーマンショック以後である。リーマンショックによる需要減によって地場メーカーは経営危機に陥った。これに対し、政府は国内生産者保護のために、新車と中古車の輸入関税を引き上げ、さらに、国産車販売振興に向け自動車ローン金利を補助する制度や、製造後10年超の乗用車を廃車にし、国産の新車(外国ブランド含む)に買い替える場合に5万ルーブルを補助するスクラップ・インセンティブ制度を導入した。並行して、政府は2010年4月、「2020年までの自動車産業発展戦略」を発表。自動車産業の近代化と国際レペルでの競争力獲得に向け、外国メーカーによる自動車生産のさらなる現地化と自動車部品産業の育成を目指している。これを実現するために「工業組み立て」の条件を厳格化した新「工業組み立て」(組み立てメーカー、部品メーカーの両方が対象)を2011年2月に発表し、8年間部品の関税を減免する代わりに、達成すべき生産台数を30万~35万台(従来は2万5、000台)、現地調達率を60%に引き上げた。

着実に拡大する乗用車販売

 ロシアでは近年乗用車新車販売台数が伸びている。 2003年に110万台だった乗用車市場は2011年に248万台に拡大している。その主因は、購買力の上昇、自動車ローンの普及などである。また、ロシアの人口1、000人当たりの自動車保有台数が281台(2009年)と、米国(790台)、日本(579台)、ドイツ(543台)、韓国(359台)に比べて少ないこと、すなわち成長潜在性があることもある。 2008年に発生したリーマンショックは、自動車ローン審査の厳格化、ルーブル安による輸入車の価格上昇、消費者の節約志向の芽生えなどにつながり、2009年の乗用車新車販売台数は前年比で半減する打撃を被った。しかし、2010年は前述の政府によるスクラップ・インセンティブ措置が奏功したこともあり、178万台まで回復した。今後については、上述の「2020年までの自動車産業発展戦略」によると、乗用車の販売台数は2015年に330万台、2020年には360万台に達すると予測されている。乗用車販売をブランド別で見ると、表7-1のとおり。近年の特徴は、外国ブランド車の販売台数が増えていることだ。 2005年と2010年を比較すると、2005年には約6割が地場ブランド車であったのに対して、2010年には31%、2011年には25%まで落ち込んでいる。理由としては、ロシア国民の所得の増加による外国ブランド車への嗜好が強まったこと、地場ブランドに対する評価が低いこと、外国ブランド車のロシア国内での生産が拡大したことが挙げられる。リーマンショック後、消費者は品質やブランドよりも価格に重点を置くようになったが、依然、地場ブランドと外国ブランドを比較した際に、外国ブランドを買いたいという消費者の欲求は根強い。
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飛行機の中で、歴史に関すること

ブリュッセル空港の風景

 11時の飛行機です。ブリュッセル空港まで、新しいレクサスで送ってもらいました。旦那は昼からの出勤だそうです。今回、何度も休みを取ってもらいました。最後まで、裾野でどの部署にいたのか聞けなかった。

 空港到着です。また、長いゲートを通っていきます。空港でもまたスタバです。これは到着したときに確認しておきました。アップルケーキを食べました。奥さんに言わせると、日本の方がいい、とのこと。

 フィンエアーの出発ゲートの前に並んでいます。周りの女性7人中6人がスマホをいじっています。これが当たり前みたいです。

単独行動のつけ

 単独行動しながら、連絡が付かないことは、ここでは非常識なんでしょうね。孤立と孤独の私としては、依存したくない。どうにかするし、それを信じてきたと思っている。だけど、次に奥さんと一緒に来るときは、せめて、海外ローミングですかね。

飛行機の中で、歴史に関すること

 歴史という幻想:それぞれについて、地域という時に広がりが異なるように、歴史についても広がりが異なる。共通の歴史を持つのは幻想です。その中で世界と将来に対して、共通の認識を持てるようになるための手法を考える。人類に歴史の中に出るという歴史を作ることを認識させる。 

 時空間の位相:歴史を時空間で捉えると、ローカルのローカルはグローバルを作り出し、全体効率を求めて、グローバルのグローバルを作り出す。基本となる近傍は、従来のエリアの拡大だけではなく、時間軸の拡大も行う。

 人間の進化促進:ツールは進化、先人たちは人間のコミュニケーション知識のアップを行ってきた。それらを歴史を変えるために作っていく時が来た。先行する国、否定する国があるが、全体として進化させていく。

 組織からの脱却:技術の進化と集中からの分配で政治形態を作ってきたが、個人レベルで進化する。組織の発想が弊害になってきた。個人からの循環を回していく。

 危機感を煽る:現状の悪さをそのままで、将来を見た時に、問題を感じさせる人と、感じない人がいる。今は感じる方が正解です。個々の感覚よりも全体の感覚のレベルを上げていく。

 環境社会の実体:TPCCのように、答えからデータを作り上げるのに不信感をまねく。原因と結果を取り違え、間違った方向に向かう。危機感を正当に評価して、冷静に見ていく。

 温暖化が本当に問題ないか:地球レベルと歴史的感覚で見ていく。北欧は氷河に埋まっていた。自分の生活のみの思考単位を超えて、究極の目標を自ら設定する。

 政治・経済の変革:歴史から考えたときに、政治・経済は結果であり、効率というメジャーも見られている。国単位ではなく、社会コミュニティを主役に切り替え全体効率を図っていく。

 価値観共有の進化:人が多いほど、環境がよくなるためには、それぞれが役割を持ち、自分の範囲を超えて、コミュニティを支えていくことです。そのためには、価値観を共有することです。

 日本のモノつくり:メーカーの論理で新しいものを作り、売ってきた。一方通行の重いです。インフラという概念がないので、それぞれがバラバラです。今までの活力のもとであったが、これらを使うことが中心で、将来のインフラを進化させる。その際は消費者相手ではなく、生活者のグループと一緒に考えていく。

 中国の分裂:ローカルのローカルを追求すると、中国はさまざまなカタチで分裂するしかない。誰が支配するとかは関係なく、ローカルで中国をエネルギーで対応させていく。当然、朝鮮半島、インドにも影響を及ぼす。中国を消費者とか生産者としてみている、日本は方向転換を図られる。
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