未唯への手紙
未唯への手紙
私たちはどうしたらよいのか
『世界歴史』より
こんな時に、歴史を振りかえって考えるというのは、なかなか実りの深いものです。
文明以前の人間たちにも、もちろん欲望というものはあったでしょう。それが環境の条件と合わないこともあったかもしれません。狩りの獲物になる生物とうまく出会えないことが続いたりした場合、飢えてやせたり、とうとう死んだりしたこともあったかもしれません。
それでも多くの場合、彼らの生と死は、大自然の運行の中にありました。人間はその中で、頑張って生きてきました。文明以後の私たちは、欲望の過剰を戒める正義を作り出しましたが、それは多くの生物にはなかったことです。自分たちが作り出しつづける道具が、何か怖ろしいものを生み出しはしないかと感じはじめたのかもしれません。
文明以後の人間は、おとなしいとみえる草食獣を愛し、それを食べる肉食獣を憎みました。時には、人間の正義をふりかざして狼を殺したりしたこともあります。
しかしこれは、正義どころか、逆効果であることが、研究が進むにつれて判りました。島などで狼を殺すと、鹿の数は急に増えました。ところが数年すると、今まではなかった病が鹿の間で流行し、さらに鹿が増えると、草や木まで食べつくされて、ついにある日、島全部の鹿が死んでしまったのです。肉食獣は、草食獣よりはるかに数は少なくしか増えません。両方の間には、生の緊張があり、それが双方の数を適当に維持するのです。つまり肉食獣も大切なその一方の担い手なのです。双方のあいだに、善も悪もありません。
組織的に農業を始めた時、つまり文明がスタートした時から、だんだんと、正義の観念が人間の間にひろまっていきました。
はじめは、それは強大なものではなかったでしょう。はじめのうち、人間は必要とする以上に求める欲望などは実現しなかったから、正義もあまり必要なかったでしょう。
だんだん権力者が作られるようになりました。放っておくと欲望をいくらでも追い求める権力者が生まれました。そして、それぞれの地方で、「権利を自制してください」という教えを説く人が現われてきました。正義が欲望と対照的に織られていく歴史が、自覚されはじめました。
今日では巨大なピラミッドは、権力者が自分たちの墓を巨大化することだけが目標だったとは考えられていません。エジプトの農業は、ナイル川の与えてくれる水によって成り立っていた。その水が少ない時期には、農業だけで働く人の多くは飢えた。王は自分の独占していた富の一部を放出して、ピラミッドを作った。ピラミッド制作中、雇われた人々はパンやビールなど食を獲得した。つまり今日の公共事業のような性質のものだったと説く人々の説が有力となりました。
しかし、富を求める権力者と毎日の食に苦しむ多くの人々の大きな裂け目は、なかなか埋まりはしなかったのです。
古代中国の孔子(二千五百年ほど前)は、権力者に自制の礼節を説いた人として有名です。しかし、その後の中国の権力者とその追随者たちは、時によって独善的な享楽を楽しみました。
キリストと後世呼ばれたイエス(二千年前)は、その刑死後、ローマ帝国後期のヨーロッパに大きな宗教を生み出しました。貧者のために天国はあるとする観念も生まれました。発展した商業の有力者は、権力者以上の富を獲得していましたが、もし「天国」が存在し、しかも「貧しくない」とそこに入れないとなると、彼らの死後は大変不幸です。イタリアのフィレンツェの大金融王となったメディチ家を大きく育てたコジモーメディチは、豪華な自宅の名画に飾られた祈祷室で、毎夜自己の罪(!)を告白し、神の救いを涙ながらに求めたとも伝えられています。
しかし、本当に働く人たちの、いわば「貧民の天国」が、現世に出来あがったのが二十世紀であることは、本書をお読みになった方のよくご承知のとおりです。
歴史の織物の中の、欲望と正義は、はじめて地球上に生きた姿を現わしたのです。
すべての人々の幸福のために! あらゆる産業がそこに集中し競争しました。
その姿はあまりに慌ただしく、多くの過ち、多くの不正を生み出しました。
十五、十六世紀以後、少しずつ正統性を認められてきた「科学」も、この泥沼の中に一挙にはまりました。産業と結びついた科学は、多くの公害を発生させ、大事故を起こしました。それに対して「正義」を説く宗教も、同じく泥沼に落ちてしまいました。同じ宗教の分派同士が、相手を敵として攻撃し、多くの争いを起こし、死者を増やしました。まさに欲望の担い手も、正義の担い手も、だんだんに歪んだ存在になってしまったのです。
七十億という人口にあっという間に駆け登った人間は、環境である地球とさまざまな相克を次々に生み出してしまいました。急激に繁栄を我が手に収めたと思った人間は、その途端、破滅に足をかけてもしまったのか。
まさに文明最大の危機に、私たちは慄えているのです。
こんな時に、歴史を振りかえって考えるというのは、なかなか実りの深いものです。
文明以前の人間たちにも、もちろん欲望というものはあったでしょう。それが環境の条件と合わないこともあったかもしれません。狩りの獲物になる生物とうまく出会えないことが続いたりした場合、飢えてやせたり、とうとう死んだりしたこともあったかもしれません。
それでも多くの場合、彼らの生と死は、大自然の運行の中にありました。人間はその中で、頑張って生きてきました。文明以後の私たちは、欲望の過剰を戒める正義を作り出しましたが、それは多くの生物にはなかったことです。自分たちが作り出しつづける道具が、何か怖ろしいものを生み出しはしないかと感じはじめたのかもしれません。
文明以後の人間は、おとなしいとみえる草食獣を愛し、それを食べる肉食獣を憎みました。時には、人間の正義をふりかざして狼を殺したりしたこともあります。
しかしこれは、正義どころか、逆効果であることが、研究が進むにつれて判りました。島などで狼を殺すと、鹿の数は急に増えました。ところが数年すると、今まではなかった病が鹿の間で流行し、さらに鹿が増えると、草や木まで食べつくされて、ついにある日、島全部の鹿が死んでしまったのです。肉食獣は、草食獣よりはるかに数は少なくしか増えません。両方の間には、生の緊張があり、それが双方の数を適当に維持するのです。つまり肉食獣も大切なその一方の担い手なのです。双方のあいだに、善も悪もありません。
組織的に農業を始めた時、つまり文明がスタートした時から、だんだんと、正義の観念が人間の間にひろまっていきました。
はじめは、それは強大なものではなかったでしょう。はじめのうち、人間は必要とする以上に求める欲望などは実現しなかったから、正義もあまり必要なかったでしょう。
だんだん権力者が作られるようになりました。放っておくと欲望をいくらでも追い求める権力者が生まれました。そして、それぞれの地方で、「権利を自制してください」という教えを説く人が現われてきました。正義が欲望と対照的に織られていく歴史が、自覚されはじめました。
今日では巨大なピラミッドは、権力者が自分たちの墓を巨大化することだけが目標だったとは考えられていません。エジプトの農業は、ナイル川の与えてくれる水によって成り立っていた。その水が少ない時期には、農業だけで働く人の多くは飢えた。王は自分の独占していた富の一部を放出して、ピラミッドを作った。ピラミッド制作中、雇われた人々はパンやビールなど食を獲得した。つまり今日の公共事業のような性質のものだったと説く人々の説が有力となりました。
しかし、富を求める権力者と毎日の食に苦しむ多くの人々の大きな裂け目は、なかなか埋まりはしなかったのです。
古代中国の孔子(二千五百年ほど前)は、権力者に自制の礼節を説いた人として有名です。しかし、その後の中国の権力者とその追随者たちは、時によって独善的な享楽を楽しみました。
キリストと後世呼ばれたイエス(二千年前)は、その刑死後、ローマ帝国後期のヨーロッパに大きな宗教を生み出しました。貧者のために天国はあるとする観念も生まれました。発展した商業の有力者は、権力者以上の富を獲得していましたが、もし「天国」が存在し、しかも「貧しくない」とそこに入れないとなると、彼らの死後は大変不幸です。イタリアのフィレンツェの大金融王となったメディチ家を大きく育てたコジモーメディチは、豪華な自宅の名画に飾られた祈祷室で、毎夜自己の罪(!)を告白し、神の救いを涙ながらに求めたとも伝えられています。
しかし、本当に働く人たちの、いわば「貧民の天国」が、現世に出来あがったのが二十世紀であることは、本書をお読みになった方のよくご承知のとおりです。
歴史の織物の中の、欲望と正義は、はじめて地球上に生きた姿を現わしたのです。
すべての人々の幸福のために! あらゆる産業がそこに集中し競争しました。
その姿はあまりに慌ただしく、多くの過ち、多くの不正を生み出しました。
十五、十六世紀以後、少しずつ正統性を認められてきた「科学」も、この泥沼の中に一挙にはまりました。産業と結びついた科学は、多くの公害を発生させ、大事故を起こしました。それに対して「正義」を説く宗教も、同じく泥沼に落ちてしまいました。同じ宗教の分派同士が、相手を敵として攻撃し、多くの争いを起こし、死者を増やしました。まさに欲望の担い手も、正義の担い手も、だんだんに歪んだ存在になってしまったのです。
七十億という人口にあっという間に駆け登った人間は、環境である地球とさまざまな相克を次々に生み出してしまいました。急激に繁栄を我が手に収めたと思った人間は、その途端、破滅に足をかけてもしまったのか。
まさに文明最大の危機に、私たちは慄えているのです。
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