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オバマ リビアの介入に対する批判とゲーツの価値観

『オバマ・アメリカ・世界』より

エジプトについては、オバマ政権の対応は、例えばムバラク大統領に対する退陣要求にあたって、少し遅かったのではないかという側面があるかとは思います。しかしそれも非常に微妙な問題で、おそらくオバマ政権の国内的な立場という点ではそんなに大きなダメージはなかったのではないか。

難しいのはリビアです。アメリカの体質というのはやはり、カダフィ政権が反体制派を武力で完全に鎮圧してしまいそうな勢いのときには、「これを放っておくのか」という意見が国内で相当強  くなる。放っておくと批判を浴びる。アメリカという国はそういうときは盛り上がるのですが、しかし介入が始まると今度は「何のための介入か」を問う、それに対する批判がまた違ったグループ  から起きるわけです。

これが内政であれば、大きな政府/小さな政府、財政問題を巡る対立ということでそれぞれ民主党と共和党の支持層と重なり、民主党対共和党というかたちになるわけですが、外交の場合、そこが少しずれていて、民主党のなかにも大きな亀裂がある。(渡辺さんがおっしゃったように)左派のグループ、リペラル、反戦派のグループは介入反対派。ただ同時に、左派のほうにも人権グループがいて、その人々は放っておくのかという論調です。もう少し穏健派のグループはやはり介入についてつねにひとつのオプションだという考えをもっています。共和党のなかでも孤立主義的なグループ(ティーパーティの一部がそうですけれども)がありますし、宗教保守とかパット・ブキャナンのグループなどもけっこう孤立主義的です。他方で共和党にはもともと中東全体を民主化すべきだという激しいグループもいたわけで、彼らはいま再び元気を取り戻しつつあります。ブッシュはやはり正しかったといっている、そういうグループからするとオバマの介入はまったく臆病なもので、ウイリアムークリストルなどはもっと全面的に大規模な対応を早くすべきだということをずっと言っています。しかしリアリストの共和党員からすれば、なんて馬鹿なことを言っているのだということにもなります。そういう意味で、外交における対立というのは、民主党対共和党という部分もないわけではないのですが、それぞれの党のなかでも党派を超えて激しい分裂状態にある。コンセンサスがない。ただ、最終的には、やはりある意味で内政と似ていて、大統領は何もしなくても批判されるし、何かしても批判されるという状況です。

リビアヘの介入は、最終的にオバマ政権にとっての得点となりましたが、共和党にとっても、例えば大統領選挙のことを考えていくと、どういうポジションでいくのか、相当難しい問題でした。大統領に立候補する人は、おそらく介入を支持する立場の人であればそういうプレッシャーによけい晒されると思いますし、共和党にとっても大きな分裂要因になるという感じです。

それからロバート・ゲーツ国防長官の考え方が今回かなり反映されているかと思います。今回のリビアは非常に限定的な介入ですね。アメリカにとって決定的に重要な国益があるのかという問いに、彼は「イエス」とはストレートに答えていない。それにたいしてまた強い批判があり、決定的に重要な国益でない問題で何故アメリカの若者が命を危険に晒されなければいけないのか、ということになるわけです。おそらくゲーツはもともと反対だったのではないでしょうか。ホワイトハウスとしては支持基盤から放っておくのかということをつきつけられて、オバマ大統領のほうが介入という方向で押し切った。その介入の仕方が非常にオバマ流です。国連の安保理の合意があり、イギリス、フランスといっしょにやる。むしろ(アメリカは突出しないで)彼らが表に出る。そういう意味でブッシュ的な介入と相当違っていて、ゲーツ国防長官と彼を支えるグループの外交的な価値観が相当反映している。

ここでゲーツ国防長官がいったのは、アメリカのリソースの限界ということです。ひとつにはアフガニスタンの重荷があり、そして、日本でも発言当時でトモダチ作戦のために一万八〇〇〇人を展開して、金額にしてすでに相当のお金をかけており、したがってリビアを全面的に攻撃するわけにはいかない、というわけです。アメリカのかぎられた資源でいかに軍の作戦を展開するか考えたとき、リビアで突出してアメリカの資源を使うわけにはいかないという判断があった。

リビアでカダフィ政権が転覆されたことは、とりあえずNATOの限定的介入の勝利であり、オバマにとっては、最少得点差かもしれませんが、勝利といえるだろうと思います。

アメリカの対応の仕方について、クリントン国務長官自身も、すべてにあてはまるひとつの解決方法、対応はないのだということをいっています。つまりバーレーンはバーレーン、サウジアラビアはサウジアラビア、エジプトはエジプト、リビアはリビアと、国ごとの違いということを慎重に考えて対応するというのが基本であると述べていて、今回の対応でもいちおうそれが基本方針になっている。

ソーシャル・メディアについてローゼンバーグとも非常に近いアレックス・ロスという人物が、当初からヒラリー・クリントンのもとでソーシャル・メディアを使ったアメリカの広報外交ないし広報パブリシティ、人権外交ということを担当しています。彼の国務省での肩書きがちょっと変わっていて、革新的外交推進担当上級顧問といいます。おそらく二〇〇九年のイランの大統領選挙後の混乱のときに、イラン国内からかなり発信があったし、外からもイランの反体制にたいしてインプットがあって、それで(ソーシャル・メディアの)効果の大きさというのを感じたのでしょう。

クリントン国務長官自身、二〇一〇年の一月、「ニュージアム」でインターネットの重要性について演説し、そのなかで中国を厳しく批判し、冷戦のレトリックを使って鉄のカーテンがインターネット空間におりつつあると語っています。国務長官は二〇一一年・の一月にもホルブルックを追悼する演説で、インターネット空間の重要性をいっています。これは、アメリカが背後で操っているとかそういう意味ではまったくなくて、(お話ししてきたような外交的あるいは人権的に重要な)局面での反体制派との自由なコンタクト、あるいは国境の壁を越えて政府・非政府を超えたコンタクトを行なっていくということです。クリントン国務長官、国務省はずっとそういう方針を通すと見ていいと思います。
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ブリュッセルへの旅立ち

ブリュッセルへの旅立ち

 7時2分のバスで、セントラルに行きます。一応、セブン-イレブンのトイレも行ってきました。いつもの通りに、バタバタです。今回はパスポートは持っています。

生きる意味

 生きる意味が①夢をつなぐ②もう一人の私③偶然を生かす④考え抜く、で構成される偶然が一番多くの資料がある。偶然から意味が生まれて、意味で偶然に感度が生かされる。もう一人は客観的というよりも、自分の存在をなくすために必要なアイテムです。アバターみたいなものです。

未来を語れない

 偶然を必然と見ることで、全てを知った上で、次が考えられる。全てがない限りは未来は語れない。考え抜くことで、つながる楽しみ。それぞれ自分の中で別々にあったものがつながることは興奮します。最大のサファイアの4つのSIFAの4つの文字です。行動で未来にはいけない。全体を見て、選択肢から選んでシミュレートする。そのためには、考え抜くことが必要。

 宇宙の旅人と言うのは、単なる旅人感覚だけでない。宇宙を相手にする覚悟です。個人と宇宙の関係です。これこそ存在と無です。生まれてきた理由をそれぞれの人が考えているはずです。質問することも難しいし、答えをもらえるとは思えない。裸を見るようなものなのでしょう。それができる相手がいれば、私の人生観は変わるのに!

社会を分析する理由

 願いというのは行動ではない。相手に行動を促し、自身をつけさすことです。全ては相手の思い次第です。なぜ、自分の存在を掛けて、社会を見たり、分析したりしたのか。仕事という名目を得るだけではなく、人類とか、国の代わりだったんでしょう。その目論見は。半分、成功した。こうしていられるから。

 私では、社会を見られないので、行動するμが出てきた。社会をゆさぶり、本質を知るためにであり.組織の論理を突破するためです。自分の内のサファイア循環というのは、社会を見た結果としての結論にすぎない。本来、それで人間の心の循環を見たかったが、現実解でひっぱられている。

 思いを蓄えるは、サファイア循環という見方が、正しいのかを自分なりに、納得させるための作業です。サファイアのベクトルに、多読で空間を作り、未唯への手紙で、一度、外へ出してみる。耐久力はついた。社会につぶやいて、行動する振りをしたが、自己主張が目的ではないので、結果は期待しない。自分がそれなりに納得すれば、十分です。自己形成の一環です。

 自分の存在の無と同様に、社会も存在と無である。社会自体を自分の内に入れることで、位相的な解決を図ることができる。存在理由は、あくまでも自分で向かってのものです。他人に認識できることはありえない。それが故の内なる世界です。そこでは、本質的、論理的な耐久力を持つものです。

 無であることが社会に出る力です。そこには自分はない。意思だけである。これは[かなりの矛盾です。ないが故にあることを望む。影響力を望む。。それでどうなるものではない。それだけのことかもしれない。人生の退屈しのぎ。他の人と同様に、無を意識していることだけが異なる。

外なる世界が生まれた
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