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オランダの光と影の交差--福祉国家の変質と移民

『反転する福祉国家』より

このような「参加」を条件とする福祉国家の出現、そしてそれと不可分に進行するシティズンシップ概念の変質のもとで、移民や難民をはじめとする外国人はどう扱われるのか。国際機関や多国籍企業で働くエリート層は別として、ここで彼らの少なからぬ部分が「コミュニティヘの義務を果たさない」シティズンシップの不適格者とみなされ、排除のターゲットとなる可能性は高い。近年の福祉国家再編を支える主張は、教育の場や労働市場において移民・難民が実際に直面する困難な状況よりも、むしろ彼らがコミュニティたるホスト国の社会にどれだけ貢献するのか、どれだけ参加する意思があるのか、を第一に問うものだからである。そしてこのことは現実には、彼らの多くを福祉国家に「包摂」するのではなく、福祉国家の構成メンバーたるシティズンシップそのものから「排除」する方向に働いていく。ワークフェアがめざす「社会的排除の克服」が達成されないばかりか、むしろ社会的排除の「再生産」につながるのではないかと危惧されるゆえんである。

エスピン=アンデルセンが指摘するように、かつての福祉国家は、「モラルの観点では……より普遍的で階級のない正義と「国民」の連帯を約束するもの」だった。福祉国家が「万人に開かれている」というイデオロギーを掲げるかぎりは、特定のカテゴリーの人々をそこから排除する、排除の論理は直ちには成立しにくい。一九八〇年代まで、福祉と結びついた移民排除の動きが一部にとどまった理由はそこにある。福祉国家のシティズンシップがメンバーの「寄与」や「参加」を問わない場合には、移民やマイノリティは福祉国家の「包摂」の対象として扱われこそすれ、真っ先に「排除」の対象とされることはなかったからである。

しかし就労優先型の福祉国家への再編成にともない、就労をはじめとする社会参加をシティズンシップの条件に据えることで、労働市場や教育現場で困難な状況に置かれている移民やマイノリティはむしろ排除の対象とされていく。そして一部のエリート層を除けば、新たな移民や難民は「コミュニティヘの貢献が期待できない」がゆえに、そもそも入国にすら高いハードルが設定されてしまう。現代の選別的な福祉国家のもとでは、彼らにはメンバーたる資格が最初から認められないばかりか、「外部者」として治安対策のターゲットとして扱われざるをえない。こうして福祉国家の「ゲイティッド・コミュニティ」化か進行し、「福祉国家が移民を守る」という理念は「移民から福祉国家を守る」というロジックに反転していったのである。

もちろん、近年西欧各国で進展している福祉国家改革は、制裁手段を用いて就労を強化するワークフェア政策に限られるものではない。第二章でみたように、パートタイム労働の保護、労働時間の変更権の保障、長期休暇制度などの諸改革は、就労促進に寄与するという点ではワークフェア政策と共通しているとはいえ、その手段はよりソフトな、間接的な促しにとどまる。その意味でこれら労働時間・就労形態に関する労働者の裁量を拡大する諸改革が、ワークフェア政策と同様の「参加の強制」-そしてその裏返しとしての「排除の契機」-を必然的に内包しているとまではいえないだろう。

しかし重要なことは、就労形態の多様化や柔軟化といった「労働者本位」の改革の恩恵を蒙るのは、基本的には労働市場にすでに参加している人、あるいは参加が容易な人々、すなわち「労働市場のインサイダー」に限定されているということである。たとえばフルタイム・パートタイム間の相互転換が可能になったとしても、その制度を利用するためには、まずは(パートタイムであれ)正規の労働者として雇用されることが必要である。そしてその「インサイダー」の圧倒的多数が、白人の自国民、ないしはEUなど先進諸国出身者であることはいうまでもない。労働市場へのアクセスがそもそも困難な人々、特に非ヨーロッパ系の人々にとっては、就労を前提とする労働時間の短縮・延長制度や「労働とケアの両立」といった改革は絵空事に過ぎないともいえる。諸改革の成果を享受するためにも、まずは労働市場に「参加」することが当然の前提となっているのだ。
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ハイデルベルグは人が一杯

ハイデルベルグ

 予定を変更して、ハイデルベルグに向かいます。途中にマンハイムに寄りました。

 ツーリスト・インフォメーションは土曜日は13時でおしまいです。閉まっています。ここは電車の町です。電車網が張られています。トイレの所在地図があります。

 スタバにはマンハイムのマグがありました。マグはドイツで一つにします.フライブルグでおしまいです。バックの中の場所を取りすぎます。ドイツの全都市分がある感じです。スタバの客もPCの度合いガ多いです。

 給水等の前では、バザーではなく、車の展示会です。やはり、ここは都会ですね。

 まあ、ハイデルベルグに行きましょう。

 ビスマルク広場は人で一杯です.今日は土曜日だから、観光客なのでしょう。マグがあるから、スタバがあると思ったら、大学通りにありました。トイレは無料です。但し、地下です。

 ここも一つ通りを挟むと、そこはほとんど駐車場です。やはり、車は邪魔ですよ、殆ど止まっているだけなのだから。

 ハイデルベルグ大学の図書館に入り込みました。自由に回っていたら、司書から、バックはロッカーに入れろ!と言われました。その時に、Can you speak Japanese?と聞いたけど、全然、聞く耳を持たなかった。

 学生広場にもスタバがありました。ここのトイレはロックが掛かっていた。かなり、長居をしていていた。やっと、学生広場を出ます。32番のバスなら、そのまま、駅まで直行できます。1.1ユーロです。

 フランクフルトに戻ります。

周りは関係ない

 色々なことが周りに起こっているけど、自分には関係ないことばかりです。自分は自分のことだけです。ここでも旅と生活の類似点があります。

 フランクフルトまでのICTは6人用のコンポーネントの端に座りました。そのあとに、おばさんが3人乗ってきました。私には関係ありません。大阪のおばさんのように騒いでいます。やかましくて、たまりません。これも風景です。

 フランクフルトです。ホテルに荷物を置いて、リストを持って、ちょっと出掛けて、買ってきます。
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ドイツ二日目 環境首都フライブルグ

フライブルグ

 今日はフライブルグに行きます。環境社会の未来を見にいきます。

 6時45分で切れるかもしれないけど、そのニーズはどこから来る。6時50分のICEで行きます。

 朝食はソーセージを二つ折りにしたものです。ソーセージを食べるのに、時間が掛かりました。パンは食べていません。

 それにしても、よく寝られました。二時間以上あります。45分でスイス国境です。ドイツの下の端です。

 日常の生活とドイツの三日間の旅を一緒にします。孤独を楽しみます。ドイツの家は三角形です。集合住宅は好きではないみたいです。集団性はどこへ行った。

 フライブルクにも、スタバがあります。

 クルマが中心部に入れないことを町で決めたのが、フライブルクです。シティマップはインフォメーションで1ユーロです。町の傘まであります。地域独立型ですね。

 きのことか木彫りとかもあります。皆、快適な街です。どこでも移動できる。DVDで観光首都をアピールしています。

 教会の広場で市場を開いています。かなりの規模と多様なものを売っています。皆、混在しています。この町に来て、正解です。

 市場のヨコの施設に入ったら、市の図書館でした。すごい勘ですね。元々は図書館ではないでしょう。棚が移動式になっています。図書館のトイレは無料です。市場のトイレにもなっているのでしょう。盛んにビールを飲んでいた。図書館の最上階は音楽です。その上は事務所です。

 クルマを追い出しているので、周辺を探索してみたら、やはり、駐車場に入れるのに、クルマが並んでいた。これは、今の所の通りです。

 フライブルグ大学図書館を目指したが、地図から見ると、工事中です。新築しているのでしょう。

 フライブルグのスタバに着きました。街のマグとトールラテとクロワッサンです。暑くなってきたから、ユニクロ防寒具を脱ぎます。

 フライブルグが思ったよりも、すごい街です。教会と市場と図書館が混在しています。

知識をまとめること

 エッセイの目次の第2章以下がありません。だから、単に考えることにします。

 知識をまとめることは本当に難しいかもしれない。何しろ、型に押し込めることになります。型を超えるのが知識だから、重要なものがスポイルされます。柔軟にその枠を変えていけるか。

ドイツの駐車場

 ベルギーもドイツも電柱はないし、駐車場も一生懸命、工夫しています。タテに入れたり、ヨコに入れたり、地下に入れたりしている。

 日本の場合、土地もないくせに、インフラを考えている。車の面積を考えていない。法律しかない。工夫がない。

 駅のそばは自転車ばかりです。

私の旅行に必要なもの

 カードだけで、海外に行ける時代です。飛行機だろうとホテルだろうとスタバだろうと、カードで十分です。

 天気はいいです。手足が冷えています。ユニクロの防寒具を着ていても寒いです。

 このバックとカードだけで、どこでもいけます。バックさえあれば、どこでも考えることが出来ます。ICレコーダーに入れることも、ノートの記入することも出来ます。
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