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一瞬たりとも無駄にしない

未唯へ

 腰が痛くて、寝てばかりです。原因は不明です。

 本が馴染まないですね。頭の中を素通りします。

一瞬たりとも無駄にしない

 一瞬たりとも無駄にしないための道具を探していた。24時間スケジュール帳がない。昔の無印には合ったけど。今の私には24時間でないと捕捉できない。

 スケジュール表のは24コマのローディアを使いましょう。多分、家にあるでしょう。それと小さな定規です。

奥さんのデジタルカメラ

 カメラは決めたけど、エイデンは高い。ビックカメラの方がはるかに安い。月曜日の帰りに買って気舞う。

環境社会の進め方

 環境は今日の内に直しましょう。これができていないことが、頭が働かない理由です。だけど、このロジック構築は命がけでないとできそうもない。

 環境社会は本格的にクリアしないといけない。

 大項目と中項目はきめたけど、そこから先がない。

 9.5 社会インフラ~ヨーロッパを見て、感じたこと
  9.5.1 交通体系 自転車主体
  9.5.2 センサー 電信柱は不要。スマートにできるのか
  9.5.3 車社会 家と駐車場を
  9.5.4 グリーン・コンシューマ 地域でロウテクでインフラを作る
 9.6 経済体系
  9.6.1 シェア社会
  9.6.2 地方への税制を渡す
  9.6.3と9.6.4はノーアイデア
 9.7 政治形態
  9.7.1 地方自治
  9.7.2 国の役割
  9.7.3 政党
  9.7.4 NPO
 9.8 国際関係
  9.8.1 地中海連合 トルコ圏
  9.8.2 インド洋連合 イスラム圏
  9.8.3 米州連合 アメリカは南に向かう
  9.8.4 日本の行方
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失業さえできない日本の若者たち

『若者が働きはじめるとき』より

低い日本の若者の失業率のナゾ〈ずいぶん低い日本の若者の失業率〉

 こうしてみてくると、いま、日本の若者たちにとって、学校を出て働きはじめるときに、いろいろと大変な状況が生まれていることがわかる。正社員で就職できても、長時間労働やまわりの支えがないなかでひとりで頑張ることを強いられたり。そもそも正社員になれなくて、不安定なフリーターなどの仕事を続けざるをえない人たちも増えている。

 こういう状態は、日本だけなのだろうか。実は若者が安定した仕事に就きづらいという状況は、いまほかの先進国でも共通におこっている。一九八〇年前後から、欧米先進国では中心産業が、工業から情報・金融・サービスなどの第三次産業に移っていった。それとともに、いままで若者をたくさん雇用していた工業の衰退などで、若者の失業が急増するという事態が各国に発生した。非正規雇用などの不安定な仕事も増加した。多くの国で、政府の政策の方向が、国民全体の生活の安定を基本においた福祉国家から、市場原理と競争重視の新自由主義に移ったことも、こうした変化に大きな影響を与えた。

 こういう大きな変化が生じた時期は、国によっても違っているが、イギリスなど早いところでは一九八〇年代前半からそういう状態がおこっている。日本は、先進国のなかではだいぶ遅れたほうだ。若者の就職をめぐる深刻な状況が本格的におこりはじめたのは一九九〇年代に入ってからだ。大きな変化はだいたい九五年前後からとなっている。

 そういう意味では、いま、先進国をはじめ世界中の若者が、こういう難しい状況に直面している。ただ、そうはいっても、国によっておかれている状況には違いもある。

 先進各国の若者の失業率の最近の推移を見ると、日本の若者の失業率はほかの国々に比べて、ずいぶん低い。二〇一〇年の数値で見ると、日本の失業率はイタリアの三分の一、アメリカやイギリスの二分の一、OECDに加盟している先進国全体の平均値に比べても半分近くになっている。これだけ失業率が低いということは、それでも日本の若者は恵まれているということだろうか。

〈でもフリーターの数は?〉

 フリーターなど若者の不安定な仕事についてはどうだろうか。各国同士これを数字で比べるのは、なかなか難しい。例えばOECDは、加盟している先進諸国などの臨時雇用(契約期限が限られている比較的短期の雇用)の割合を調べている。そこでは日本の若者(一五-二四歳)の臨時雇用の割合はおよそ二七パーセント(二〇一〇年)で、OECD平均よりもちょっと多い程度だ。しかし、国によって雇用制度や慣行が異なるので、実態を比べるのはけっこうやっかいだ。例えば、ヨーロッパのドイツや北欧の国ぐにではおよそ半数前後と、臨時雇用の割合がとても高い。しかしそれらの国々には、アプレンティスシップと呼ばれる職業訓練制度が広く普及していて、若者の臨時雇用の大半はこの訓練生だ。この制度は会社が若者を訓練生として雇い、職場で働きながら訓練を受ける仕組みだ。訓練期間は職業ごとに決まっていて、だいたい二、三年。その期間を終えると資格がもらえる。そうした国ぐにでは、この資格がないと就けない職業が多いので、資格を持っているということはとても重要になる。同じ臨時雇用といっても、教育訓練を受ける機会がほとんどない日本のフリーターとは大違いだ。

 もうひとつ、日本の若者の非正規雇用について、OECDの数字は実際よりも少なめに計算されているようにみえる。前の章の図1で用いたデータ(「労働力調査」)では、同じ年・同じ年齢でおよそ四六八Iセントになる。この数字はほとんど先進国トップクラスだ。

 そんなわけでなかなか単純な比較は難しいが、ヨーロッパのなかでもアプレンティスシップがあまり広がっていないイギリスを取り上げて、日本と詳しく比べてみよう。ここではひとまずOECDのデータを使ってみる。二〇一〇年現在で、日本の若者の失業率は九・二パーセント(一五-二四歳、以下同じ)、臨時雇用の割合は二六・六パーセント、合わせて働いている人や今すぐ働きたいと仕事を探している人(これを労働力人口という)全体のおよそ三六パーセントにあたる。一方イギリスは、失業率が一九パーセント、臨時雇用が一四パーセントで、労働力人口全体のおよそ三三パーセントにあたる。

 両国とも、仕事がなかったり安定していなかったり、そういう不安定な状態にいる若者が、およそ三人に一人ほどいることになる(日本の臨時雇用・非正規雇用の数字の、先のずれを考えると、不安定に暮らす日本の若者はもっと多いかもしれない)。ただ、大きく違うのは、失業と臨時雇用の割合が、日本とイギリスとで逆転していることだ。日本はフリーターなどの臨時雇用が多く、イギリスは失業が多い。
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カーストのいま--連続と変化

『カーストから現代インド』より つづくもの・変わるもの

現在のカーストはなにが変わり、またなにが変わっていないのだろうか。ここでは、カーストの特徴ともいえる前述の職種と分業形態、内婚、序列、カーストの政治化の四つの側面について述べたい。

まずカーストの職種と分業形態についてであるが、今日インドの村落部においても自カースト固有の職業に携わる人は決して多くない。その最大の理由は、市場経済の普及により、かつて職人カーストがつくっていたほとんどのものが、機械生産によるものに取って代わられたためである。村の壷づくりカーストがつくっていた素焼きの壷や器、機織りカーストが織っていた綿布(これはすでに植民地時代から衰退)、鍛冶屋が製作していた農機具などは、これらのカーストとジャジマーニー関係を結ばなくてもいつでもマーケットで購入できるような時代になったのである。床屋の場合、流行の髪型にしてもらえる街の店のほうが魅力的だし、また出産は産婆ではなく、病院で迎えるのが一種のステータスにまでなっている。その結果、カーストの職種による従来のような分業関係はほとんどみられなくなった。ただし、いまでも自カースト固有の仕事と関連深い仕事に従事している人もおり、カーストと職種との関係の環が完全に切れたともいえない。

カースト規範のなかで今日においてもなお比較的忠実に守られているのがカースト内婚であろう。急激な経済的・社会的変動にともなう人びとの意識や価値観の変化は確実に起きており、それは都市部の裕福層や中間層において顕著にみられる。その現れのIつとして、ほかの条件が勝ればカーストを必ずしも結婚の最優先の条件としないということをあげられよう。インドの英字新聞の日曜版には、数ページにわたって結婚相手を求める広告が掲載されるが、これらはカースト、宗教、母語などの別にまとめられていることが多い。そのなかには「カーストを問わない(a{;or}」との記載も散見され、いよいよカーストという壁を乗り越えようとしているのかと思いきや、自分のカーストをしっかりと明記してあったり、また「SC(指定カースト)だけはお断り」と付け加えられていたりする。自分のカースト名を書いておいたのは、同一カーストだけにこだわらないが、連れ合う程度のカーストの人に申し込んでほしいという意味が込められているのかもしれない。こうした結婚広告からもわかるように、実際には同一カーストまたはサブーカーストとの結婚が一般的だといわざるをえない。その背景にあるのは、前述したカーストの浄性の問題や、それぞれのカースト集団独自の文化の存在である。同じ地域に住む人びとはカーストや宗教の違いにもかかわらず、通過儀礼などにおける類似点も少なくない。しかし、それぞれのカースト集団は食生活、服装、行動規範などにおいては異なる点も多いのである。こうしたところから、共通の生活習慣や文化をもつ同一カーストまたはサブ・カーストとの結婚を好むのであり、結婚後も女性が婚家でカースト仕事を続ける場合はなおさらである。

現在カーストの序列の問題は、人びとにとって最大の関心事ではないようである。浄・不浄の原理自体は健在だが、その規制が緩くなりつつある。都市部の近代的職場や公共の場などでは、カースト序列に基づいた距離を保つことがもはや困難である。また村落部においても、高位カーストの間で共食の規制が緩くなっていることや、カースト序列における変化が起きている様子を、多数の民族誌が伝えている。独立後のインドの国勢調査では、克服すべきカーストの存在を国家が認め固定化してしまう恐れがあることから、優遇措置の対象である指定カーストと指定部族をのぞき、個別カーストの人口や分布などを調査対象から除外している。こうした背景もあって、自カーストの地位や序列が同村の他カーストより高いのか、それとも低いのか、といった問題はさほど魅力的かつ重要なものとして受け止められていないのである。ただし、いまなおブラーマンが最高位であることと、不可触民が最低位であることに変わりはなく、相変わらず不可触民を取り巻く環境は厳しい。最近は、カースト集団を対象にした政府の優遇政策をめぐり各地で騒動が起きている。インド政府は長年政治的・経済的・社会的な面で、相対的に低い地位におかれていたカーストを、指定カースト(ほとんどが不可触民)や、その他の後進諸階級(OBC)と認定し優遇政策をとってきた。しかし、低位カースト以外の階層から優遇政策の拡大を求める動きがみられ、なかには自らを底辺層に位置づけようとするカーストもおり、現代インドにおけるカースト序列のもつ意味が改めて問われているのである。

これと関連して考えなければならない問題がカースト集団の政治化である。19~20世紀半ばに盛んであったカースト地位向上運動や、ヒンドゥー教からの集団改宗などの事例からもわかるように、カースト内の意思決定や行動は、一枚岩でない集団成員のさまざまな意見を収斂しながら、集団としてまとまったものになっていくことが多い。これは、カースト単位に区分されて認識されるヒンドゥー(あるいはィンド)社会において、カーストとして統一した動きをしたほうが、戦略的に必要かつ有効だからであろう。

独立後は、政治・経済的な利権をめぐりカースト集団の政治化がより一層顕著になっていく。独立後の選挙政治において、自分たちの立場を代弁してくれる者を議会に送り込むことがますます重要になっていくなかで、長年自らの代弁者を立てることが容易でなかった中・低位カーストを中心に、特定カースト集団が特定政治家の支持基盤となるような現象が至るところで起きている。またカーストをめぐるさまざまな政治経済的優遇政策が、カースト集団のさらなる政治化に拍車をかけているとい 以上述べてきたように、現代インドにおいてカーストは、分業体制と序列によって支えられていた従来の有機的な諸関係はほぼ崩れてしまっているといえよう。またカーストの規範や規制はだいぶ緩くなってきており、カーストに対する人びとの意識も変化している。しかしながら、結婚や政治的行動などにみられるように、カーストの横の連帯は機能しており、また現代的諸課題に直面していくなかで、逆にカースト意識が強化される場合もあるという現実を見逃してはならないだろう。
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