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イスラエル 一瞬も退屈のない国 ★波乱と緊張と多様性の中で★-

『イスラエルを知るための60章』より

イスラエルについて多くの日本人がもっているイメージにはあまり肯定的なものはないように思える。戦争やテロ、うまくいかない和平交渉、武力の過剰な行使や占領地での入植活動に対する批判、核兵器保有をめぐる問題、イランやハマスとの確執など、マイナス・イメージのリストがどんどん続くからがもちろん、強い軍事力とそれを支える先端的な技術、モサドに代表される世界屈指の情報機関といった高い評価もあるだろう。だが、こうしたプラス・イメージも戦争やテロといったマイナス面と裏腹の関係にある。

イスラエル人は自分たちの国をよく「一瞬も退屈のない国」と形容する。実際、1948年に独立して以来、60余年のこの国の歴史は波乱に満ちている。周辺アラブ諸国との間では、四回の主要な戦争を勝ち抜いてきた。1973年の第四次中東戦争以来、国家間戦争はなくなったが、イスラエル側が「テロ」と呼び、パレスチナ側が「解放闘争」と呼ぶパレスチナ・ゲリラとの戦いは熾烈を極めた。さらにパレスチナのイスラム組織ハマスや、レバノンのシーア派組織ヒズボラとの大規模な武力衝突も繰り返し起こっている。核開発を進めているイランに対してもイスラエルは警戒感を強めており、イスラエルがイランの核関連施設を攻撃するのではないかとの観測が絶えない。

それだけにイスラエル社会には常に一定の緊張感がある。地中海を見渡せるテルアビブの海岸通りにあるカフェに座ってのんびりしようと思っても、自動小銃を手にした若い兵隊の一団が隣にいたりの荷物検査を受けなければならない。空港でのチェックは観光立国でもあるこの国の評判をかなり落としているが、どんなに評判が悪くても緩和されない。「安全」は何ものにも優先されるからだ。

イスラエル中央統計局のデータによれば、2012年4月の独立記念日時点での人口は788万1000人であり、そのうち約75パーセントがユダヤ人である。その意味でイスラエルを単純に「ユダヤ人国家」と規定することはできない。国民の4人にI人は非ユダヤ人だからだ。

それでもイスラエルが、19世紀後半に起こったユダヤ人の民族主義運動シオニズムに立脚した国であることは事実だ。ユダヤ人の子どもたちが通う学校では、ユダヤ人が迫害されてきた歴史とイスラエル建国の正統性が繰り返し教えられている。祝祭日や国の行事は、基本的にユダヤ暦とシオニズム運動の歴史に基づいている。裏返せば、アラブ系国民は「二級市民」的な扱いを受けることが多い。

イスラエルはまた全く違った顔ももっている。政治的な意見がさまざまであるように、イスラエルは社会的にも多様な世界だ。

同じユダヤ人といっても、移民社会だけに出身地によって文化的背景は大きく異なる。大きくは欧米系(アシュケナジーム)とアジア・アフリカ系(スファラディーム)に二分されるが、ここ20年ほどの間にスファラディームの一群であるオリエント系(ミズラヒーム)も自己主張を強めている。彼らはみなヘブライ語を話すが、もともとの母語はポーランド語、ルーマニア語、ロシア語、アラビア語、ペルシャ語、トルコ語などさまざまだ。その一方で、「サブラ」と呼ばれるイスラエル生まれのユダヤ人も増えている。

イスラエルではユダヤ人を法的に、ユダヤ教を信じているか、母親がユダヤ人である者と定義している。この定義からもわかるように、「ユダヤ人」という場合、宗教と民族の二つの側面をもっている。この二つの側面は個人や集団のレベルで異なるアイデンティティを作り出している。たとえば、「自分はユダヤ人だが、宗教的には無神論だ」と民族性だけを強調する完全に非宗教的なユダヤ人もいれば、非常に熱心な正統派ユダヤ教徒でシオニズムを否定している非民族的な集団も存在している。全体的にみれば世俗的なユダヤ人が多数派で一般的だが、宗教的なユダヤ人も「子沢山」を背景にじわじわと存在感を増している。彼ら宗教派は「豚肉を食べてはいけない」「安息日にはいっさい労働をしてはならない」といったユダヤ教の戒律を、個人だけでなく社会全体で守るべきだと主張しており、「宗教は個人の問題」と考えている世俗派の反発を買っている。

近年のイスラエル社会でもう一つ顕著な政治的な流れは、民族主義的な傾向が強まっていることだ。社会が全体的に右傾化を強めている背景の一つは、パレスチナ側との和平プロセスが行き詰まっていることと関係している。イスラエルはパレスチナ解放機構(PLO)と1993年に暫定自治合意(オスロ合意)を結び、和平プロセスを本格化させた。しかし、それからすでに18年以上がたっているが、対立はまったく解消されていない。和平プロセスの失敗はイスラエル側にもパレスチナ側にも大きな失望感や傷跡を残している。イスラエルでは自分たちの安全が確保されていないという意識が強まり、そのことが宗教化とあいまって右傾化を促進している。

イスラエルは文化面でも多様性に富んでいる。もともとユダヤ人は日本人とは正反対で、自己主張が強い。小学生の集まりをみていても、誰も「前へならえ」や「右へならえ」などしようとしない。議論が大好きで、子どもの頃からディベートごっこを楽しんでいたりする。こうした気質に加えて出身地や母語、さらに宗教的か否かなどの違いがミックスされ、文化の分野でも強烈な個性が花開いている。

クラシック音楽の世界では、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団は日本でもかなりおなじみの存在で、演奏家の来日も多い。また最近、元気なのがイスラエルの映画産業だ。『戦場でワルツを』や『シリアの花嫁』『ミラル』などのイスラエル映画が日本でも紹介され好評を博している。日本人科学者9人がウルフ賞を受賞し、そのうち二人はその後ノーペル賞に輝いた。村上春樹の本がイスラエルでブームになっているといった現象もある。アニメに代表される日本のサブカルチャーも、イスラエルの若者の支持を得ているようだ。

規制緩和や民営化などの自由化が推進された1990年代以降、経済も好調で、イスラエル中央統計局によれば2011年の一人当たり国内総生産(GDP)は約3万1200ドルと、世界で27番目につけている。これだけ戦争やテロに直面しながらも、豊かな経済を実現していることは驚きだ。基幹産業である農業をはじめ、多くの産業がハイテクを使った世界の最先端を走っているか目指しているからだろう。イスラエルの先端技術は日本にもかなり取り入れられている。

ただ規制緩和や市場優先といった新自由主義的な政策に基づく経済発展が多くの国で貧富の差を拡大しているように、イスラエルもまた格差の問題に直面している。シオニズム主流派は社会主義的な色彩が強く平等を重視した。しかしこの10年ほどの問に一部の豊かな層と、多数の貧しい層とのギャップが広がっており、2011年夏には住宅費高騰や社会的格差に対する抗議行動が全国規模で起こり、公園などを占拠する「テント村」が出現した。

イスラエルを取り囲む外部環境も大きく変化している。2011年にはアラブ諸国で、「アラブの春」と呼ばれた政治変動が相次いだ。アラブの春を経験した「新しい中東」が今後どのような姿になるか、今の段階では予想もできないが、イスラエルの将来に決定的な意味を与えることは確かだ。
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2030年のコミュニティ意識

奥さんのココ語

 忘れたというドイツ語も知らないので、無賃乗車と見なされた。

 奥さんはココ語を使えるから、相手が言っていることが感覚的に分かるみたいです。論理的に、言語的に分かるのはムリです。

 この間のナイジェリアの女の子に囲まれた時も感覚的に危機を察してていた。私は女の子のほうに気を取られていたけど、奥さんは分かっていた。

グーテンベルグ記念館は閉まっていた

 マインツのグーテンベルグ記念館は5時まででした。途中で引き返してきた。足は相変わらず、痛いです。

 マインツにもスタバがありました。都市のマグがあります。マインツのスタバには無料トイレがあります。安心して、トールラテが飲めます。

 行きが20ユーロで、帰りが7.5ユーロなのか、分からないから、ドイツ国鉄のインフォメーションに問いただそうとした。

 最初から、ノーを繰り返した。そこで、私はAかBを聞いているのに、ノーというのはないだろうと攻め寄った。ノーと言いながら、後ろに下がっていった。頭にきた。

 あのインフォメーションのドイツ野郎(女性)には本当に、腹が立った。ほとんど、日本語です。

 奥さんの勘の良さは元々なのか。私という、得体の知れない人間を相手にしていたから、ああなったのか。

列車風景

 本当にこの列車はフランクフルトに着くのかという、不安をヨソに外の景色を見ていた。

 どこも、ケータイをやっています。どの国が始めに、ゲーム化からコミュニティ化していくのか。それによって、新しい順序が出来ます。新しい国民能力です。その意味では総力戦です。

 ドイツ辺りかもしれません。新しいナチズムです。当然、カリスマの居ない世界です。沈み行く夕日を見ながら、米軍の言葉が浮かんだ。「いいドイツ人は死んだドイツ人」

人生と旅

 異邦人の中にずっと生きてきた。人生と今回の旅はよく似ています。

2030年のコミュニティ意識

 内なる世界を考えるとは、自分の中のモデルを崩すことです。新しい刺激で近傍系のホロンが変わっていく。新しいつながりから全体の構造を再構成します。

 2030年の世界には、コミュニティ意識がベースになる。将来の危機感からコミュニティが生まれて、意識と知識を集約して,維持され、他のコミュニティともつながる。危機感から将来への希望につながる。

 将来を考えていないし、家族の単位でしか考えていない人であふれている。いかにして、将来を考えて、行動していく、同一価値観のグループ単位で変えていくシナリオを作ることです。

 孤立を楽しむには、余分なものを捨てることです。人と関係はさほど、必要ないし、得るものはない。意見の一致も押し付けも押し付けも必要ない。

 すべてを知るためには、知るだけではダメです。モデルにまとめて、それに常に刺激を与えて、進化させる。より、少ない知識であるためには、論理的であることが全体の構成を作り出す。

 何も考えていない人に未唯空間を示しても意味がない。問題意識を持って、問う人だけを相手にする。あおのために、自分の存在を示すこともない。だから、パートナー以外の誰からも問われないが、これが最適な状態です。

 問われたら応えると言うことは、すべてのことについて知っているということです。云われたことが新しいロジックとして、未唯空間に入っていきます。パートナーの存在意味です。なくてはならないものです。
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ドイツ一日目 拠点のフランクフルトへ 

ドイツ単独行三日間

 今からタリスで、ドイツですね。完全に一人です。ベースとしては、インナートリップです。

 今日はリュクサック一つです。後は、いつもの考える道具です。ドイツのガイドブックとクックの時刻表が重たいから、手提げにしました。これなら、取られてもどうにかなります。

 これは人生と変わらない旅です。初めての時間、初めての場所をどうにか切り抜けています。どんな問題があろうとも。奥さんと二人ならば、最強だということを昨日のパリで実感しました。

 スタバのマグを取りに戻って、道に迷うことも旅行であり、人生ですね。

 しかし、トイレだけは気をつけないといけない。水を一滴を飲むとすぐに出ます。最低でも50セントは用意してきます。公共の場、美術館はタダです。高いところで、1.5ユーロです。

 奥さんが見つけた、エッフェル塔そばの日本文化会館はタダです。こんな嗅覚は私にはありません。

パリでの奥さん

 昨日のパリで、奥さんは道を間違えました。私の忘れ物をしたので、それを取りに行くのに、別の方向に向かっていました。

 エッフェル塔を目指して、そこから戻れば言いというロジックを作り上げて、皆に聞きながら、30分ぐらい掛かって、戻ってきました。かなり、焦っていたので、歩数計が私よりも2千歩ほど、多かった。

 パリから帰って、ブリュッセルで泊まりでした。ピザハットです。一枚を二人で分けて食べました。二人で1400円ぐらいです。

 ルーブル美術館では、ミロのビーナス、モナリザ、もう一つです。ルーブルを代表するものだけを見たので、ルーベンスを探すのはやめました。

 パリへの旅費は片道8000円ぐらいです。帰りは殆ど、ビジネス客です。皆、パソコンを打っています。

アーヘンでジャーマンパスのチェック

 アーヘンに到着しました。インフォメーションでチェックするのが目的の途中下車です。

 街並みは似ているけど、ドイツは皆バラバラです。それを感じながら、DAMまで歩きました。

 やっと、駅にたどり着きました。これだけ、何で歩かないといけないのかという感覚です。腰の痛さからすると、さほど行動できません。

 特に得たものはないですね。一万歩を超えています。何にもアーヘンという、洒落です。

フランクフルトへ

 だから、ICEでフランクフルトに直行しましょう。10分遅れのICEに乗れました。ジャーマンパスではICEはフリーです。

 列車は、途中のケルンを出ました。靴を脱いでいたけど、冷えるので、履きました。

 ICレコーダーの日付が狂っているけど、無視します。入力したら、捨てるだけです。あまり、心の中は進んでいません.それだけは確かです。

 昨日までは、奥さんに付き合って、飛行機以外は考えることを避けてきました。旅行を一緒に楽しむことです。ドイツでどこまで考えられるか、勝負です。

 無料のトイレに行きたくて、フランクフルトのホテルにチェックインしました。まだ、2時です。

マインツへ

 この時間だから、郊外に行くつもりです。行き当たりバッタリです。

 フランクフルト駅の電気が切れています。電光掲示板も表示されていない。お店も真っ暗です。

 ドイツのスタバのクッキーは大きくて、二つで3.1ユーロです。マグカップは10ユーロいかないです。日本よりも安いです。

 マインツ直前で検札が来ました。恰好よく、ジャーマンパスを出そうとしたらなかった。ホテルに置いてきた。ペナリティも含めて、20ユーロ取られたみたいです。何のためのジャーマンパスなのか。
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奥さんとパリの休日

地下の共同駐車場
 
 駐車場はほとんど、地下の駐車場です。クルマというものがそれほど経っていないのに、インフラになったんですね。どのように合意したのでしょうか。2台目は自分の家の前の路上です。許可証ですね。

 今日は奥さんと二人だけで、パリです。日帰りだけど、前後の二泊はブリュッセルにホテルを取っています。だから、ホテル→パリ→パリです。パリまでのタリスは奥さんが駅で取りました。全て、ココ語です。

 ルーブル美術館の後は、エッフェル塔です。奥さんはエッフェル塔を歩いて、登うとしていた。あまりにも、多くの人が並んでいたので、諦めたようです。足のトラブルがなければ、登ったでしょう。

 エッフェル塔の駅のそばに、日本の文化紹介のセンターがありました。あそこなら、トイレはタダと奥さんの推察して、行ったら、タダでした。

奥さんが迷子になっていた

 その時に、ルーブル美術館で買った、スタバのマグを置き忘れた。地下鉄一駅行った所で、奥さんが気付き、取って返すことにした。乗った切符が使えると思ったら、ゲートが開きません。仕方がないので、新しい回数券を2枚使って、エッフェル塔の駅まで戻りました。

 奥さんがセンターまで取りに行くから、そこで待っていなさいと言われた。なぜか、センターと反対方向に歩き出した。その結果、10分もすれば十分なのに、30分掛かって戻ってきました。

 道を間違えたことに気付いたときに、センターの場所が分からなくなっていた。そこで、エッフェル塔を目指して、道行く人に聞きまくりながら行ったそうです。エッフェル塔に戻って、そこからセンターを見つけたそうです。これさえ出来れば、世界中、どこへ行っても大丈夫です。奥さんとパリに来て、良かった。

 その代わりに、切符を4枚ほどムダにしたので、奥さんに怒られました。余分なことをしないようにと釘をさされた。奥さんに関しては、私に対する、話しネタができたという所でしょう。

奥さんのココ語

 殆ど、ココ語で済ましています。地図などを出して、ココに行くにはどうするかを「ここ」だけで済ませて、答えを出していく。あれなら、どこでもいけます。

 タリスのインフォメーションに切符を出すだけで、乗り場を教えてくれた。相手が察するみたいです。その分、勘がいいみたいです。

 地下鉄でも地図を見ていると、寄ってきて、教えてくれます。日本人からは「さいふ、気をつけてください」と言われます。

 但し、ナイジェリアの若い女性3人組が囲まれた時は、奥さんはバックを守っていた。そうしたら、女性は去っていった。危なかったみたいです。私は美人だなと見ていただけです。そのときも、紳士風の人が見ていて、見守っていてくれた。去った後に、奥さんに「ああいうものが気をつけろ」と注意してくれた、といっていた。フランス語も英語も分からずに、そこまで理解するとは!

 スタバを忘れた時も、エッフェル塔で私を写した写真で、その時点で持っているかを確認していました。

今回は登れなかった

 パリは奥さんが行きたかった所にいきました。多分、凱旋門も登りたかったのでしょう。エッフェル塔も同様です。あの狭い、エジプトの赤ピラミッドを登った人だから。この経験だけで、行ったことになるでしょう。まあ、それで十分なのかもしれない。

未唯空間のプレゼン表現

 未唯空間のプレゼン表現は要約の要約で、全体のロジックを追うものです。いつでも考えられ、人に聞かれたら、プレゼンできます。あくまでも聞かれたらの話です。頭の中に全体の空間を作るのが目的です。

 未唯空間の楽しみはつながることです。表のロジックだけでなく、裏のロジックでのつながりもあります。主題の間を接続するサブ項目と他のサブ項目をつなぐことで重層化します。

 文章を因数分解することで、ロジックを明確にでき、言葉そのものの空間ができます。未唯空間が「破」の段階に入ります。それを再構成すれば、「離」です。

 完結性は組織で言うところの自己完結ではありません。ホロン的な近傍を持つことで、メッセージがそれぞれつながり、新しい完結性が出来上がる。これを組織に展開しようとすると、個人のポテンシャル・アップが必要となる。

 未唯空間で自分を変えることの意味はすべてをその中に入れることとそれを財産として見ることから可能になります。まずは自分を変えることから始める。

未唯空間での残し方

 すべての残し方は①情報を集めて、体系化する②体系から関心を把握する③項目単位で発信して、耐久性を高める④社会の財産として、分かるカタチで残す。

 数学は式と図で理解を伝えようとするが、根源的な概念には文字が欠かせない。文字で哲学的に定義されて、つながっていきます。このジャンルの手法はまだまだ、未発達です。各層を未唯空間として、サブ空間をイメージして、テーマを設定して、考えていく。ネットでつなぐ、環境社会などの軸はあるものの、多様な関係で決まっていくものを作り出す
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