時代小説、といっても江戸時代の小説を読むと庶民の人情をあふれるのは長屋のおかみさん方、すべてにおいて旦那に勝るその書き方の端に助け合う姿を想像させる。そんな時代の情報が集まるところは、町の人も旅の人も立ち寄る湯屋、髪結い所、居酒屋などが登場する。今もこうした名残が何とか残っているのが散髪屋、旅の人は来ないが近くの人は定期的に世話になる。
めっきり少なくなった頭頂の頭髪だが、それでもそこ以外は伸びるので散髪屋の世話になる。店主は組合では若い方というが愛想も腕も気に入っている。散髪台に座ると会話が始まる。人が集う所で話題に事欠くことはない。近くで看板を下ろした店の事から個人商店の話に広がる。散髪屋で雇用主として開いている組合加盟店は1店も無い、どんどん少なくなる同業者の話から始まった。
「この時代、や、ではやっていけない」という。「や」を聞き返すと「屋」だという。教えられて指折ればそうした店はどんどん店を閉めるといえばそれとなく聞こえはいいが廃業に思える。本屋、肉屋、呉服屋、文具屋、時計屋、服屋、菓子屋、果物屋、魚屋、履物屋、靴屋、鍛冶屋、家具屋、傘屋、薬屋、散髪屋、瀬戸物屋、市内有数の商店街だった昔の姿を思い出し、今はほとんどがシャッター戸や駐車場に変わっている。今風の家にも建て替わっている。
かっての商店街の道幅は狭く車社会への対応が遅れ、商店街をひとまとめにしたような郊外型大規模店の出現など社会の変化に乗り遅れた感がある。他方で昭和レトロなどと古い町並みを観光の目玉にしている。近くに1軒、昔風で子ども相手の駄菓子屋がある。TVが入ると必ず立ち寄る。道の拡幅ができなければそれを梃子にできないか。錦帯橋館も作られることだし。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます