子どものころ、近所の庭に大きくて高い銀杏の木が1本あった。幹は子どもが3人くらい手をつないでも足りなかった。その銀杏の下に屋根が桧皮ふきの門があった。その屋根とそこに積もった黄色い葉の光景は何十年経った今も、綺麗だった、と記憶にある。
銀杏の周りはちょっとした広場になっていた。落葉が積もり始めるといつの間にかそこに子どもが集まり遊び始める。大きな声で駆け回っても家人から諭されたという記憶はない。
落葉をかき集める。それを山にする。両手でつかんで誰かかれの区別なく頭の上から振り掛ける、また集める、振り掛ける、というその繰り返し。なんとも単純な遊び、今にして思えばなにが楽しかったのか思い出せないが、大声をあげて日がかげるまで遊んだ。その遊びもあの匂いのある実が落ち始めると終わる。
その銀杏の木は少し高台にあり遠くからでも眺められた。住まいを移ってからも近くを通りかかると梢の黄色を懐かしく見ていた。ところが最近見えなくなった。なぜだろうと思いながらそこまで足を運んでいない。もの言わぬ大木だが、懐かしいものがひとつ消えた。世の常とはいえまたひとつ何かを失った気持ちになるのは晩秋のせいだろうか。
(写真:屋根の上で淡い日ざしを浴びてしばし休む落葉たち)
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いずれも郷愁をそそるこの季節のシンボルですね。ふと子供心に帰ります。