清流・錦川の上流のある小さな集落の集会所を訪ねる機会があった。和風の建物外観からは長いあいだ地域の人を支えてきた歴史を感じさせる。この時期、夏草の茂る時だが周囲には見当たらない。玄関を入って目についたのは木製で横に長い下駄箱。年代物だろうと思いながら自分の履物を棚に置いた。
履物を置きながらおどろいたのは、雑巾を掛けたがごとく下足箱が綺麗なことだった。砂のひと粒もついていないどころか、艶が出ている。どなたの管理かは知らないが、集落皆さんの人柄が現れているのだろうと思うと、素晴らしい集落だろうと感じた。エアコンがありませんので、応対の人が申し訳なさそうに話される。
アルコール消毒して部屋に入る。全部の窓が開かれコロナ対策はバッチリ、エアコンの代用として扇風機が7,8台部屋中にくまなく風を送っている。部屋の鴨居に表彰状などが数多く掛けてあり、古い市長の名前もある。この地域は1955(昭和30)年に岩国市に編入された地域になる。
小学校の時の下駄箱も木製で、目のまえに見るものとそっくりだった。全校生徒2千人分余りが使う下駄箱が一カ所にまとまっていた。その理由を知ったのは卒業してからだった。学校全体のトイレ、当時は便所と呼んでいたが、それが一カ所で下駄箱の部屋を出たところだった。当たっているかどうかわからないが、素直にうなずける。今の学校はどんなになっているのだろうか。
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