先日書いた「アユを放流するわけ」の続き。アユの棲む小川のすぐ上に、雑草が覆い茂っているが、かつては道だったような下流に向かってやや下り坂の跡が見える。地元の人に聞くと「昔はバスの通う道だった」そうだ。小川はこの先で直接ダム湖に流れ込む。ダム建設の時に道が付け替えられ、すぐ上側に今の県道2号線が完成したと教わった。
県道2号線、この町を通り過ぎ峠を越えた隣町にボランティアで何度か通ったことがある。ダムができるので集落の集団移転や付け替え道路ができるなどは報道ではよく聞く。そうしたいわれのある道路だとは知らぬままに走っていたことになる。
湖底には約50戸の家と野球場6個ほどの農地が水没したという。ダム完成から間もなく40年、この辺りも大きく変わりました、と感慨深そうな口ぶり。交通の便が良くなると若い人らは都市部に仕事を求め、今の山間地の宿命である過疎化に歯止めはかからず、地元の活力が低下しているとも話す。
16年前の広域合併は人口約15万人で発足したが現在は13万人を切っている。この4年間で有権者数で5千人減少している。また、この地域では小中高の統廃合が進み児童生徒のために転居する若い人も多いと聞く。街中もだが市街地を離れた地域に目を向けないといけない、先日の市議選でこの地域からの候補者がいづれも高順位で当選していることからもわかる。
(今日の575) 新市議はもらった票に恩返し
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます