2011年03月09日 朝日新聞「声」掲載
私が中学2年の時、学年末試験初日の深夜、突然、腹が猛烈に痛くなった。心配した父は町内に一軒だけの医院に向かって自転車で走った。
ほどなくして外にスクーターが止まる。先生が入ってきて丁寧な問診と診察、注射。父は薬を取りに、もう一度医院へ。痛みは朝までに消えた。冷たい風の吹く冬の深夜、いとわず往診してくれた町のお医者さん。亡くなられるまで家族でお世話になった。医院の看板は今はないが、家の外観は変わっていない。
今のような救急制度の無い頃、地方の町では「お医者さん」と尊敬語で呼んだ。そうした医師の献身的な働きに救われた人は多い。日頃から診てもらっている、診ているという安心と信頼の絆が育っていた。近くに救急病院のない時代、50年以上も前のことだが、住んでいた町の医院のありがたさを思い返す。
今は遠くに近くに、救急車のサイレンを聞かない日はない。多くの家の家庭医として、往診に使われていたスクーター。タッタッタッという軽快で静かな音が懐かしい。
私が中学2年の時、学年末試験初日の深夜、突然、腹が猛烈に痛くなった。心配した父は町内に一軒だけの医院に向かって自転車で走った。
ほどなくして外にスクーターが止まる。先生が入ってきて丁寧な問診と診察、注射。父は薬を取りに、もう一度医院へ。痛みは朝までに消えた。冷たい風の吹く冬の深夜、いとわず往診してくれた町のお医者さん。亡くなられるまで家族でお世話になった。医院の看板は今はないが、家の外観は変わっていない。
今のような救急制度の無い頃、地方の町では「お医者さん」と尊敬語で呼んだ。そうした医師の献身的な働きに救われた人は多い。日頃から診てもらっている、診ているという安心と信頼の絆が育っていた。近くに救急病院のない時代、50年以上も前のことだが、住んでいた町の医院のありがたさを思い返す。
今は遠くに近くに、救急車のサイレンを聞かない日はない。多くの家の家庭医として、往診に使われていたスクーター。タッタッタッという軽快で静かな音が懐かしい。
さて今年中にまっmぺん掲載されるでしょうか?クイズになりそうな勢いですね。
楽しく読ませて頂きました。
何だか、昔の町の状況が見えるようでした。
一瞬タイムスリップしてほのぼのとした雰囲気になったのは何故でしょうか・・・
今も家庭医を、といわれながら町の医者は少なくなりました。どちらがいいのでしょうか。
ちょっとセンチな内容でした。
釣果はいかがでしたか。突風と釣りは題材になりませんか。
町の医者、昔の言葉になりそうです。
町の医者という言葉はもう古くなったようなこの頃です。
同級の女医さんはどんな内科医になられていますか。
お世話になった先生はふっくらで穏やかな方でした。
往診、今は聞くことが少なくなりました。