今日、京都に住む孫娘が受験を突破して入学した中学校を卒業。昼過ぎ、卒業式直後の袴姿の写真が嫁から届いた。いい笑顔に卒業の嬉しさが読み取れる。ここまで大きな患いをせず素直に育ってくれたことに感謝している。勿論、孫ひとりではなく周囲や親の支援あってのことだが、離れて暮らしていると節目ごとの成長をより意識してしまう。
京都で生まれ、離れることなく今日まで京都住まい。帰省したとき京都弁が出ると京都っ子だと思う。ドラマのようにどぎつくないので耳障りはない。そんな京都っ子も帰省すれば一番に仏壇の前に座り手を合わせる。私の両親と祖父母の遺影は喜んで見下ろしている。小さいときだった、仏飯を運びながら「爺ちゃんこれで足りるの」と聞いてきた。幼いなりに4人分にしてはその量の少なさを気遣ったのだろう、うれしかった。
「平仮名が読めるようになりました」という嫁のメールから始まった孫新聞、今月で154号になった。手作りの卒業証書を記事にして送った。ファイルを繰ってみる。小さなステップを踏みながらではあるが成長した、じじのひいき目がそう思わせる。その孫はパンよりご飯が好き、これもじじ似と口には出さないがにんまりとする。
どんな目標をもって高校生活を送るのだろうか。じじの時代とは大きく変わった学校環境のなかで教えるものは見当たらない。それでもひとつ、「真摯な態度で学んで」と卒業証書に書き添えた。明日は顔を見せに帰省するという、久しぶりの対面を心待ちしれいる。
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