盆だ正月だという時期に「帰省とか里帰り」をした記憶は無い。したいと思ったことがあったかどうかは覚えがない。戦後の事だが、子どものころは「盆や正月には親戚がくるもの」という環境だった。父は長男、その弟妹数名が各数名の子供を連れてやってくるのが当たり前の家に育った。その賄いに母は大仕事だった。だから母の里に行くなど思ったことは無かったのだろうが、母の気持ちを聞いたことはない。
私は長男、父が亡くなっても叔父叔母達はやってきた。それを家内も母も丁寧に応接した。勿論、私の弟姉妹達も盆正月には里帰りしてきた。結局、家内も息子も盆と正月は応対と賄い続きで里帰りはできなかった。世の中の帰省や里帰りが終わったころに出かけていた。そのころの賄いは手作り以外に方法かなかった。当時のレシピは黄色く色あせたが残っている。
偶然だろうが、スーパーの駐車場に関西以東のナンバーが数台並んでいる。映像で見た高速道のあのラッシュも、帰省という思いがあれば小さな子どもも含めて我慢出来たのだろう。そんなこと思いながら、車社会以前の帰省はどんなだったか思い浮かばない。故郷のスーパーの味はいかがでしたか。安全運転でUターンして欲しい。
やっとの思いで母の里へ向かう省営バスに乗った。ほどなくして故障、子どもの足でも少し無理すれば歩いても我が家へ帰れる場所だったが母は動かなかった。発車したとき乗客は減っていて空席があり座れた。これが母の里帰りというものだろう、そう気づいたのは帰省した同僚の楽しかったという土産話を聞いてから、遅きに失した。
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