日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

あの朝から73年

2018年08月06日 | 生活・ニュース

 庭でカボチャの育ち具合を見ている祖母の姿をガラス戸超しに見ていた。その時、一瞬だが周囲が真っ白に感じる光線が閃いた。庭にいた祖母は家の中へ飛び込むように入って来て「何じゃろうか」。同時くらいに振動とドドドーという音がしてガラス戸がビィビィビィーと小刻みに揺れた。その時間が午前8時15分で、世界で初めての核爆弾が投下されたことは後になって知った。父は命令を受け自転車で同僚と広島へ向かった。

 あれから73年、世界中の核弾頭数は減少していたがその足が止まっている。しかし、保有国とその傘下の国を除けば地球上の多くの国が核兵器廃絶、不使用宣言を求めている。核のない世界いう目的は一つなのに、保有と非保有、そのどちらにつくかで思惑が異なる。

 被爆者が高齢をおして、その悲惨さと廃絶を語り部として伝えられている。若い人にはその語り部を引き継ぐ人、世界の会議の場で核兵器禁止と廃絶を訴える人も多い。15歳の少年が語り部の話を聞いて「核兵器は減少でなく廃絶が必要と分かった」と意見発表している。少年の考えを今実行出来るのは被爆国と口にする国会議員、特に保守系議員の勇気を期待する。

 在米で映像プロヂューサーの竹内 道さんは被爆2世。その方は「米国では、禁止条約もICANのノーベル平和賞受賞もほとんどニュースにならない。それを知る機会もないので、核兵器がどれほど残忍なものか知らない。気の遠くなるような核廃絶運動だが地道に続ける」と語る。この方の祖父は原爆投下当時、広島赤十字病院長として被爆者の治療に当たられた。現在、道さんはカナダ在住の被爆者サーロー節子さんを追うドキュメント製作中。
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