「うちにはどうして雛飾りがないの」、友達の家から帰ってきた年中の娘に聞かれ胸が詰まった。そんな書きだしのエッセイを読んだことがある。雛飾りは母親の親元から届く、世間一般ではそういう。贈りたくても届けられない家庭の事情に一番苦しみ悲しいのは親元の両親、その子としてそれはよく理解しているが、わが娘にはその事情は話せない。
娘の心を癒そうと、紙で小さな雛人形を作り渡した。娘は喜んでしばらく遊んでいたが「うちの雛さんはどうして紙なの」と、違いを問われた。この方は嘘で一時的にかわすより、雛飾りのないことを正直に話されたという。話の内容は分からないが、さぞ苦しい気持ちだったろう。
我が家にも姉と妹がいたが雛飾りはなかった。姉妹はどう思ったか知らないが、私と弟の端午の節句の飾りも記憶にない。我が家には孫娘がいる。嫁の親元から相談があったが、当時は一軒家だが社宅住まいのため、ケース入りの雛飾りを貰たっという。
私の息子の時には妻の親元から兜一式が届き飾った。今も保存している。ということで我が家には雛飾りはない。今は私が陶芸同好会で作った雛飾り3組が向き合って並んでいる。小さな粘土細工だが、年数がそれなりに貫録をつけてくれているようで、大事にしている。出会ったこともないあの紙の雛さんを不思議に思った子はどうしているだろう。
(今日の575) 国会の雛段座すと民見えず
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