朝ウォークで目覚めたとき、激しい雷光に気づいた。戸外で見ると、瞬きほどの間隔で繰返し続いた。音は時おり聞き取れるほどで強くはなかった。その光は、62年前のあの閃光を、音の不気味さは怖さを彷彿させるものでもあった。
その時分、我家は小高いとこに位置していた。
ガラス戸越しに何かを見ていた。うまくいえないが、一瞬目がくらんだ、庭にいた祖母が家に駆け込んだ、しばらくしてドドォーという音と同時にガラス戸がビビィーと繰返し振動した、広島へ原爆が投下された日、40㌔離れた場所で、当時5歳だった自分に残っている記憶はこれだけだ。
父は公務でその日広島へ出向き被爆した。
その惨状を教えたいと思ったのか、弟と2人を父は広島へ連れ出した。それは原爆投下から2年ほど経ったころだったと思う。広島全体が崩れた町という印象だった、と思う。いまあのころの写真を見ると印象へ覆いかぶさる。
原爆死没者慰霊式・平和祈念式が営まれ放送もされていた。途切れることなく参拝の人が続く。この尊い平和への祈りを、祈りで終わらせるこがあってはならない。それが遠く困難な道であっても。
慰霊碑へむかい「すまなかった、すまなかった」とつぶやく少し白髪のある女性を見た。誰に謝っておられるのか、下げた頭の額と合わされた手には戦争の苦労が伺えた。40数年前、平和記念式典のあと参拝したとき見かけた人が思い出される。そのあと祈念式典の日に訪れたことはない。
(写真:今朝の原爆慰霊碑 NHK-TVより)
人間は争う事0にはできないのかもしれないけど・・・。
あぶくのように小さい事だけど周りの人と仲良くしてそれがどんどん広がればなんてうん才にしては幼稚ですよね。
空は暗くなる事なく暑くなりました。
「あぶくのように小さい・・」あぶくも大きく広がれば包み込みます。仲良くはいい言葉ですね。