子どものころのサイレンは「敵機襲来」「空襲警報」など怖いことを教えてくれる、そんな印象だった。いま消防署で鳴らすサイレンにはそれぞれ意味がある。4回は山火事、3回は近くの家屋火災、2回は離れた地区の家屋火災と自己判断している。朝夕の時報代わりの吹鳴は頼りにしている方もあろう。
広島・長崎の原爆投下時刻や終戦前日の駅前爆撃など黙祷を促す吹鳴もある。このときは同じ消防署のサイレンなのになぜかその音が哀調を帯びて聞こえる。
早馬、飛脚に狼煙と時代劇の通信手段は必ず人と人を介して伝えそれを受けていた。今は電波という科学の力で一方的に送られ便利になたっと喜んでいる。発進する側は時を気にすることなく出せる。
受ける側には受信機が作動しているという絶対条件が必要だ。先般も受けた側が情報の判断を誤り事態を重くした例もある。口から耳への情報と違い扱う人の能力が試される。
ところがサイレンは何を置いても緊急な用件を伝えるてくれる。自治会長をしているときこんな経験をした。早朝のウオーキングへ出かけようとしたときサイレンが3回鳴った。すぐにある番号へ電話をかける。担当地区の火災と分かり現場へ駆けつけ会員の安否の確認をした。
サイレンの種類も増えた。火災以外に災害時避難勧告用、ダム放流などがある。再び敵機などのサイレンを聞くことのない安穏とした暮らしが出来る平和を願う。
(写真:サイレンのあと場所を確認し自宅の窓から 8日の午前)
幼い頃の身にしみた恐怖体験が未だに抜けきらないのでしょうか。
でもなければ困る気もします。
場所は工業高校をもう少し上に行った付近のようです。かなりの煙が写されていました。
9月1日、息子が「サイレンの音が怖い」と電話してきたんです。何のサイレンかと思ったら、防災の日のサイレンでした。ホッ。