夏日の喉の渇きを我慢して潤さずに参加したあるOB会、渇きが落着くと会話が盛上る。話題に事欠くような者はいない。幹事に短くと促され出席者の近況報告に移った。
元気だから参加できたことは共通だが、多少は何がしかの我慢するところもあるようだ。集った1人、82歳の大のゴルフ愛好者が「コンペ参加は今でも年50回を超える。先般も快心の1打が出ました」。
現役のころほどではないがゴルフ場のPR紙でその方の戦績を目にすることはある。毎週出かけるパワーとその小遣いの豊かさに驚かされた。快心の1打、口にされた時の笑顔は若く見えた。
退職して20年以上経っても「かいしん」の言葉が出るとは努力あるのみだろうか。「会心」は思った通りの出来栄えに本人も満足する、「快心」は心持ちの良いこと、とある。ともに本人が満足できる出来栄えを言い表す言葉になる。
人の作品を読む・観ると「早くそうなりたい」と正直焦りを覚えることがある。この焦りを覆すのは会心の作を作ることで消せるとは分かっているがなかなかの難儀である。
朝ウオーク、スッキリした明けの空を見上げながら会心の作はいつになるかと丁度鳴き始めた蝉に問うてみた。
(写真:暑さを予感させる夜明けの空)
会心をもとめるとしんどいです。
でも「戒心」もしないし なかなか「改心」もしないんです。
おかげで かいしん のお勉強ができました。