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錦帯橋創建350年

2023年10月01日 | 地域
                           (公報 いわくに 10/1表紙)
 清流錦川に掛かる国の名勝・錦帯橋は今日、創建350年を迎え、多彩な行事が行われた。観光岩国のシンボルである錦帯橋、少し詳しく紹介する。内容は親しい仲間と立ち上げた「岩国検定実行員会」が作成したテキスト「岩国通になろう」より抜粋する。観光案内とは違った錦帯橋の紹介になる。

 日本三名橋の筆頭。三奇橋のひとつ。日本を代表する木造橋。他に例を見ない特異な姿の木造5連の太鼓橋反り橋が特徴。橋の長さは、橋面にそって210m、全長193.3m、幅5m、橋台の高さ6.64m、橋の高さは一番高い第3橋で13.03mである。
 
 初代吉川広家は、城山の麓に居館や上級武士の屋敷を配置、中下級武士の屋敷や町屋は錦川対岸の錦見に置き、岩国城下町を形成した。横山と錦見は川幅約200mの錦川に隔てられており、藩政に橋は必須であった。2代吉川広正の架けた橋が洪水により流失し、落胆する父の姿を見た3代吉川広嘉は、洪水で流されない橋を架けることを決意した。

 長年の経験から洪水に強い構造がアーチという構想を持っていたと思われるが、川幅200mを一またぎするアーチを架けるには無理があり、行き詰まっていた。広嘉は明の渡来僧である独立 (どくりゅう)が持つ「西湖(せいこ)遊覧志」にある、島づたいに石橋が架かる絵図や甲斐(山梨県大月市)の桂川に架かっている室町時代創建とされる「猿橋」を参考とし、児玉九郎右衛門などの人材を充てて1673(延宝元)年に架橋した。しかし、翌年の梅雨の洪水により流失。広嘉はそれに屈することなく同年11月に2代目の錦帯橋を再建した。以後、城に代わるシンボルとして地域の人々に大切に護られ、1922(大正11)年3月には国の名勝に指定された。

 276年間不落を誇った錦帯橋も1950(昭和25)年9月のキジア台風により再び流失、2年間の歳月と現在の金額に換算して約60億円の巨額を投じて3代目の錦帯橋が完成した。

 2001((平成13)年秋より「平成の架け替え」が、伝統を受け継ぐ岩国の匠の手により昔ながらの木組みの工法で行われた。2004 (平成16)年3月、五つの反り橋はアーチの美しさにこだわって生まれ変わった。水流に対して流線型をした橋台は、水の圧力を軽減する効果があり、橋台周囲に敷きつめられ敷石が橋台の根元を補強している。主として赤松とヒノキ、その他ケヤキ・ヒバ・クリ・カシなど6種類の木材を410.7立方㍍、木造家屋の建材に換算して約40軒分を使った。

 (今日の575) 遺産だが観光だけに使いおり
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