ヘブル人への手紙 9章11−28節
土曜日で夏時間が終わりました。ですから日曜日の朝6時半は前の日までですと7時半。そのせいか、ずいぶんゆったりと眠ることができたと思ってみたら、まだ朝の6時でした'昨日まででしたら7時!)。朝はそれなりに明るくなる時間とのズレが解消される感があるのですが、逆に暗くなるのが早くて…。冬はそこまで来ています。
4−9章でこの手紙の作者は、アロンの子孫、つまりレビ系の大祭司ではないイエス・キリストは、彼らにはるかにまさる偉大な大祭司であると書いてきました。この箇所はクライマックスにあたります。ここには、大祭司としてのキリストの優位性がいくつかのことばによって明かされていきます。
キリストはご自分の血によってただ一度だけまことの聖所に入られたことによって、永遠の贖いを成しとげられたとあります。アロンの子孫の大祭司は、動物の血を携えて年に一度だけ天にあるものの写しと影である至聖所に入りました。けれどもそれでは人の良心を完全にすることができなかったのです。
永遠の贖いを成しとげてくださったことにより、このお方を信じる者は永遠の資産を受け継ぐというのです。この箇所に二度登場する「永遠の…」ということばに目が留まります。「永遠の」と言うと「永遠のいのち」ということばを覚えます。いつまでもずっとずっと続くという面もあるでしょうが、全くの新しさ、完全さを表していると考えられます。
過ぎてきた年数のほうが、待ち構えている年数よりもはるかに多い年齢まで来ました。これまではわかったつもりでいた永遠の贖い、永遠の資産、そして完全な救いということばが身近なものとなり、この先に向かって進むという力になっています。