みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

喜びの理由

2019年10月07日 | イザヤ書

イザヤ書 25章

 日本で開かれているラグビーのワールドカップ。日本の快進撃が続く様子を遠くから応援しています。それにしても、パスは後ろにしかできず、それでいながら、ボールを前へ前へと持って行こうとするひたむきさには、いつ見ても感動します。試合が終わったあとの「ノーサイド」も…。

 本章には「神の民の喜び」という題がふさわしいかもしれません。

 まず、「あなたは私の神」と言うことができる関係にあるのが喜びです。神は遠い昔からの不思議なご計画を成し遂げられたと1節にあります。敵に踏みつけられるようなひどい状況を通される中でも、「あなたは私の神」と告白する者には、勝利の結末が待ち構えています。今がどんなに厳しくても…。「遠い昔からの不思議な計画」というのは、罪人を救うために神がお立てになった計画のことで、このことばにイエスさまのお姿が浮かんできます。

 次は神が催される宴会の喜びです。宴会に招かれるのは誰なのか。「万民のために」ということばが心に響きます。宴会というと、父親が温泉地のホテルで仕事をしていたこともあり、呑んで騒いで、羽目を外して…と子どものころからあまり良い印象がありませんでした。しかし、聖書には宴会がここにあるように積極的な意味が用いられています。この宴会は、永久に死が効力を失ったことを喜ぶものです。

 キリストの救いをいただいている者にとっては、実のところ毎日が宴会なのです。そして、ここにあるような宴会に招かれる日が確かにやって来るのです。ちょっと視線が下向きになっていたのですが、この章を読むのはとてもタイムリーなでした。


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