みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

主の宮に入る

2019年10月19日 | イザヤ書

イザヤ書 37章1−20節

 数日前には色づいていた街路樹の葉が風に飛ばされて歩道を埋めています。にわか雨の後の青空の中で、秋の終りの景色の下を歩きました。

 この箇所は、いざというとき何が人の支えになるのかを伝えています。ヒゼキヤ王はアッシリアの将軍ラブ・シャケのことばを伝え聞いたとき、粗布を身にまとって主の宮に入りました。これは罪の悔い改めを身をもって表すものでした。

 イザヤ書には記されませんが、列王記第二18章13−16節には、アッシリアがユダの町々を攻め取っていた時に、ヒゼキヤがアッシリア王に「私は過ちを犯しました。私のところから引き上げてください。あなたが私に課せられることは何でも負いますから」と言って、求めに応じて多くの金や銀を、しかも金に至っては主の宮の扉や柱からはぎ取って渡したということが書いてあります。

 しかし、アッシリアは兵を引くことをしませんでした。神に信頼せずに、敵を恐れて敵の言いなりになれば自分たちを守れるという不信仰の罪を犯したことを知ったヒゼキヤは、ラブ・シャケのことばによって自分の犯した罪を示され、主の宮に入り、そこから預言者イザヤに祈りの声をあげてほしいと願ったのです。

 イザヤはヒゼキヤに、アッシリアは引き上げ、王は自国で主によって殺される、だから主に信頼して祈れと励ますのです。このことばがどれほどヒゼキヤを力づけたかを想像するのは難しくありません。さらに彼は、主に頼らざるをえないように、道を閉ざされました。クシュからの援軍もエルサレムに来ることはないとの知らせを、アッシリア王の使者によって知るのです。

 ヒゼキヤは心を定めました。主の御前でアッシリア王からの使者の手紙を広げ、ひたすらに主の助けを求めて祈るのです。

 神を信頼していると告白する者が、どこかにほかの助けを期待している、しかし、すべてを閉ざされたときにどのようにするのかは大切なこと。回り道をしながらも、主の宮で「あなただけが神です」「聞いてください」「ご覧ください」「救ってください」と祈ろうではないか、と迫られます。

 回り道をしながらも、主の宮に入ることのできる恵みを、神に感謝します。

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