みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

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2019年10月22日 | ヘブル人への手紙

ヘブル人への手紙 6章1−12節

 公園を突き抜け片道3キロほど歩いて、ビオのお店へ。豆乳が美味しいので、買ってきました。そして、見つけたのは「おにぎり」! 日本のコンビニにあるような三角形のあれ、でした。ちゃんと「ビオ」と書いてあります。それから、生姜も(根生姜ではない)こちらで初めて見ました。いわゆる「新生姜」です。今が旬なのだそうです。甘酢漬けも美味しいですし、味噌をつけて食べてもいいですよね。

 「みことばの光」はきょうから新約聖書「ヘブル人への手紙」を読みます。9月30日以来ですから、どこまで読み進めたのか忘れてしまいます。しかも、6章1節は「ですから」という接続詞から始まっています。何を受けての「ですから」なのでしょう。さかのぼって5章11節から読んでみます。

 すると、この手紙を最初に読んだ信仰者たちがどのような課題を持っていたかがわかってきます。神のことばの初歩をもう一度誰かに教えてもらう必要があったのです。ですから手紙の著者は、初歩の教えを後にして成熟を目指して進もうと促すのです。もちろん、初歩の教えはどうでもよいといっているのではありません。初歩の教えをしっかりと固めて、それに基づいて進んでいこうという意味です。

 堅固な土台の上に家が建てられるのと同じように、信仰者の歩みも初歩の教えを土台として築かれていきます。この手紙の著者は初歩の教えとは何かについて、6つを挙げています。どれもが、バプテスマを受けようとする人が準備のために学ぶ事がらです。

 一方で、神から賜った「素晴らしいみことばと来るべき世の力」を味わいながら、捨ててしまわないようにの警告もあります。自分はここで警告されているような者ではないかと悩むことも。きょうの「みことばの光」にあることばを用いると、「心が折れる」ような場合でしょうか。しかし、心配すること自体、聖霊が働いておられることの証拠。信仰を備えてくださったお方の約束を握り、成熟を目指して先に進みます。


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