みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

闇から物を見る

2019年10月11日 | イザヤ書

イザヤ書 29章

 抜歯するつもりで歯科に行きましたが、再度検査して抜歯は延期されました。覚悟していきましたので何となく肩透かしを食った感じもしましたが、同時に安堵しました。

 28章から35章には、「わざわいだ」と「ああ」と訳された同じことばが6回出てきます。1節は2回目の「ああ」です。ここではアリエル(エルサレム)に危機が訪れることを表わすことばです。歴史的な事件としては、アッシリアがエルサレムを攻め取るために包囲するということに結びついています。

 目に留まるのは、2節の「わたしはアリエルを虐げる」、3節の「わたしは、あなたの周りに陣を敷き」というように、エルサレムを危機に陥れるのが「わたし」、つまり神だと語っていることです。ここでアッシリアは、ユダやエルサレムを懲らしめるために神によって用いられているのです。

 ところが、エルサレムに「万軍の主が訪れる」のです。アッシリアの大軍が一夜のうちに消し去られるという出来事は、この後の37章に出てきます。しかし、「喉元すぎれば…」というように、神のあわれみはエルサレムの指導者に届かないのです。彼らは神のことばに耳を閉ざし、見るべきものに目をつぶるのです。その結果、礼拝は形式だけのものとなり人間のことばのみが響いて神のことばが隅に追いやられます。

 17節以降には、やがて訪れる回復の預言が語られます。その中の「その日、耳の聞こえない人が、書物のことばを聞き、目の見えない人の目が、暗黒と闇から物を見る」ということばに心を留めました。

  そのような不思議が訪れる、いや、すでに訪れているのです。

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