みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

反逆の民への恵み

2019年10月12日 | イザヤ書

イザヤ書 30章

 週末、東日本は猛烈な台風による被害が心配されています。秋の休みで一時帰国しておられる方から、飛行機のキャンセルで土曜日にではなく月曜日に戻ってくるとのメールをいただきました。

 30−31章では、アッシリアの脅威に際し、神に頼ることなくエジプトに助けを求めるユダ、エルサレムの指導者たちに対して、神は預言者イザヤによって呼びかけておられます。

 神は彼らのことを何と呼んでおられるのでしょうか。「頑なな子ら」「反逆の民」「嘘つきの子ら」「主の教えを聞こうとしない子ら」とあります。これらのことばから、彼らの罪とは何かが浮かんできます。主がお選びになった彼らは、それにもかかわらず心を頑なにし、神に逆らい、みことばに耳を塞ぎ、神にではなくエジプトに頼ろうとしています。そして、ネゲブを通ってエジプトに贈物を携えていくのです、「私たちを助けてほしい」と。

 けれども、神はエジプトは頼りにならないと断言されます。「役に立たない民」「助けにならない」「エジプトの助けは空しく、当てにならない」、そして「何もしないラハブ」とまで言われます。ラハブには「高慢」という意味があり、大きな蛇、わにを表わすことばとしても、それゆえエジプトを指して用いられます。ユダにとってエジプトは必ず自分たちを助けてくれる怪獣のような頼りになる存在だったのでしょう。けれども主は、ラハブは何もしないと言っておられます。

 こんなに頑なであったら、「もう知らない、勝手にしろ!」と見捨ててしまうところです。ところが主は、ユダ・エルサレムをそのようにはなさらずに、招いておられるのです。これがこの章の、いや、聖書全体を通して届けられている神の不思議、神の恵みです。

 18節の「それゆえ主は、あなたがたに恵みを与えようとして待ち、それゆえ、あわれみを与えようと立ち上がられる。主が義の神であるからだ」とのことばに目が留まります。義なる神なら、心を頑なにする者たちをさばき滅ぼしてしまわれるはず。しかし、彼らを恵みあわれまれるというのです。このことばの向こう側にイエス・キリストのお姿が透けて見えてくるようです。

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