みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

覚えられている喜び

2023年06月13日 | ヨシュア記

ヨシュア記 15章20−47節

 かなり前に購入した帽子をかぶて外出しました。すれ違った自転車の方が帽子を指さして大声で「ウクライナだ!」と言うのです。なぜだろうと、一瞬分からなかったのですが、改めて自分の帽子を見ると、確かにウクライナ国旗の組み合わせの色なのです。私自身は全く気づかずにかぶっていたのですが……。

 カレブがヘブロンを割り当て地として得、そこに住むアナク人を追い払った後、15章20節以降にはではユダ族への割り当て地の町々の名が連なります。このように、地名が羅列されているような箇所を読むのは、ちょっと、いや、かなりたいへんだと思います。「みことばの光」の原稿を書く方もご苦労が多かったのではないかと思うのです。

 しかし、知っている名前の町を見つけると、ちょっとだけ読もうという気持ちになることでしょう。

 ネゲブ、つまり南部の町々の中では、ベエル・シェバ、そしてツィケラグでしょうか。ベエル・シェバと言えばアブラハム、イサク、井戸を連想します。初めてイスラエルツアーに参加した時、最初に訪れたのがここでした。ツィクラグは、ダビデがサウルから追われて、ペリシテの王の一人アキシュの元に身を寄せた時、住むようにとあてがわれた町でした。1サムエル記27章に記されています。

 シェフェラは、山地と海岸の間にある丘陵地帯で、アドラムやアゼカなどという地名が、後のダビデの時代、ユダ王国の出来事に出てきます。

 一つ一つの町の名前が連なっているのは、そこに生活する人々がいたということであり、その一人一人が喜びや悲しみ、あるいは怒りや恐れなどを味わっていたということです。これらの町に名を残したダビデのような名の知られた人物だけでなく、名もない人々がそこに生きたことを思うならば、町々の名前も無味乾燥ではなくなります。

 神はそこに住む一人びとりを覚え、彼らの祈りを聴き、ご自分のわざをそれら一人一人を通して行っておられるのです。偉大な神に小さな町が、小さな者が覚えられているとは、なんと幸いなことだろうかと思ったのです。


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