ヨシュア記 22章1−20節
「嵐が来る」との予報どおり、夕方6時過ぎに強い風とともに激しい雷雨が降ってきました。日中蒸し暑かっただけに、この夕立は助かりますが、人間の期待どおりに適度に降るとは限りません。
モーセの時代にヨルダン川の東側(トランスヨルダン)に相続地を割り当てられた、ルベン、ガド、そしてマナセ部族の半分は、ヨルダン川の西側の地の割り当てが完了するまでは、妻子や家畜を東側に残して、他の部族とともに西側に渡ってともに戦うと約束し、実際にそのようにしました。そして割り当てが完了したこの時、彼らは東側に戻って行きました。
彼らは西側でともに戦っていたのですが、この間、東側のことがきっと気掛かりになったはずです。しかし、主の命令に従ったのですから、彼らの留守を主が守ってくださったに違いないと想像することができます。
5節にある「ただ、主のしもべモーセがあなたがたに命じた命令と律法をよく守り行い、あなたがたの神、主を愛し、そのすべての道に歩み、その命令を守り、主にすがり、心を尽くし、いのちを尽くして主に仕えなさい」と言うヨシュアのことばに目が留まります。
生活の中で、次々に気掛かりなことが起こります。一件落着かと思ったら、次にまた難題が降りかかってきます。大きなこと、小さなことと、問題のない日はないと言い切ることができるかもしれません。どの問題から先に手をつければよいかととも思います、あれこれといろいろな思いや考えが脳裏をよぎるなか、何を優先させるのかということについて、ヨシュアのことばは考えさせてくれます。「ただ、……なさい」ということばが……。