ヨシュア記 18章
金曜日の午後、ついに待望の雨が……。三度に分けて降りました。
ユダ部族、ヨセフ族のエフライム部族とマナセ部族がそれぞれに割り当ての地を得たあとのことが、18−19章に出てきます。
まず目に留めたのは3節。「……あなたがたはいつまで延ばしているのか」ということばです。ここには、ヨシュアのいらだちのようなものが感じられます。彼が気が短かったということではなく、それほど民が動かなかったということなのでしょう。その地は神が父祖たちに与えられたものなのに、彼らは動こうとしません。
やらなければならないことなのに、なかなか踏み出せないのは何度も経験していること。私の場合は怠惰であったり、勇気がなかったりするということが多いように思います。
興味深いのは、残り七部族の割り当ての境界線は彼らが書き記したということ。ヨシュアが地図を七つの割り当て地に分けたのではなかったのです。しかも、七部族はそれぞれ3人ずつが出かけて行って、相続地を確かめ、地図を作成し、さらに七つに分割して戻って来ると、ヨシュアは指示しました。
自分たちが出かけて行って調べ、地図を作り、分割まですることによって、ヨシュアは彼らが割り当て地の獲得に動き出すように促したのではないでしょうか。
割り当て地をくじによって…。聖書でくじを引くというのは消極的な決定の仕方ではなく、神に自分たちの判断や決定をゆだねるという意味が強いようです。自分たちが地図を描き分割したという責任と、その決定を神にゆだねるという信仰とを求められているというのは、いつも変わらない神の民の物事に対する基本的な姿勢なのではないでしょうか。