みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

ユダヤ人の王

2023年04月06日 | マルコの福音書

マルコの福音書 15章1−15節

 日本で大変お世話になった方と、久しぶりにオンラインでお話ができました。当地を訪ねられるとのこと。この夏の楽しみが増えました。

 ユダヤ人の裁判によって「死に値する」と断じられたイエスは、ローマ総督ピラトのところに連れて来られました。「自分をキリストだと主張した」というのは、ユダヤ人にとっては神を冒瀆する罪でした。しかし、彼らはそれだけではイエスを死刑にする権限を持ち合わせていなかったので、総督のところに連れて来られたのです。

 この箇所でピラトはイエスについて「ユダヤ人の王」ということばを繰り返しています。これがユダヤ人がピラトは死に値するとローマ側に示した理由でした。つまり、ローマ皇帝に反逆しているということでした。もちろん、これはでっち上げの罪状。ピラトもこのことばをまともに用いているとは思えません。しかし「ユダヤ人の王」との罪状書きは、イエスについての真理を明らかにしています。

 ここでピラトは、イエスを釈放するためにあれこれ動いているように見えます。けれども、皮肉にも彼の名は代々の教会が自分たちの信仰告白として唱え続けてきた「使徒信条」の中に納められています。読み方によって、ピラトはほんのわずかイエスと関わっただけなのに、いつも「ポンテオ・ピラトの下に苦しみを受け…」と言われ続けるという「同情」さえあるかもしれません。「ポンテオ・ピラト」の代わりに心で自分の名に置き換えるのだという文章を読んだことがあります。

 以来私はそのような思いで唱えます。


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