民数記 7章42−65節
この時期になると少しずつ日が長くなり、春を待望する気持ちが出てきます。刈り込んだ薔薇の枝から目が顔をのぞかせていました。感染症の脅威には、いつ「春」が来るのだろうかと待ち焦がれています。
レビ記のはじめ1−7章には、イスラエルの民が主に献げるささげ物について詳しく述べられています。そこでは、全焼のささげ物、穀物のささげ物、交わりのいけにえ、罪のきよめのささげ物、代償のささげ物の順で、何を、どのような時にささげるのかを詳細に規定しています。
民数記7章で、12部族が一日ずつ携えささげるのは、穀物のささげ物、全焼のささげ物、罪のきよめのささげ物、交わりのいけにえの順で記されています。ここではなぜ穀物のささげ物が最初に出てくるのかに目が留まります。
民数記は書名から分かるように、人口調査から始まります。1―10章には約束の地へ旅立つ前の準備が記されているのですが、旅には神がともに進まれます。それゆえに、彼らは自分たちを神の前にきよく保ち、神を礼拝する民として旅立つのです。
そして礼拝のために神に仕えるのはレビ部族、穀物のささげ物は神にささげられた後、残りは祭司のものとなります。穀物のささげ物が最初に出ているのは、各部族が祭司の働きを支えるべきだと強調しているのではないか、と考えるのです。
もちろん神はご自分に仕える人々を養ってくださるお方です。それとともに、神は主にささげる人々のささげ物によって、奉仕者たちを養われます。この原則は今に至るまで変わりません。