ゼカリヤ書 10章
外に出ても寒さを感じなくなりました。夜7時を過ぎても空は真っ暗ではありません。次の日曜日からは夏時間。良い季節です。こんな時ですからなおさらのこと、空を見上げ、天のお父さまを覚えます。
この章には、神がユダとイスラエルを回復される様子が描かれています。
1−2節では、誰を求め誰に尋ねて人生を歩むかについての問いかけがなされています。「主に雨を求めよ」ということばは、具体的な命令です。漠然とではなく、雨を降らせてください。実りのためにどうしても必要なのですという切実な願いは、占い師にではなく主にこそ求めるべきなのです。目が見えないバルテマイに、「わたしになにをしてほしいですのか」と尋ねた、主イエスのことばを思いました。→マルコの福音書10章51節
3節以降には、頼りにならない羊飼いたちと、頼りがいのあるまことの羊飼いなる主が並んでいます。「羊飼い」はゼカリヤ書後半のキーワードです。羊飼いなる主は、ユダとエフライムに力を与えて勇士のようにし戦いに勝利されます。イエスはまことの羊飼いとしてキリスト者をも、勇士として見えない敵との戦いに勝利するために導かれるのだと思ったときに、心に大きな喜びが湧いてきます。
まことの羊飼いは、ご自分の羊たちのためにこれほどまでしてくださるのです。