ゼカリヤ書 9章
木々の花も次々に開いて、春到来です。ワックス付の「プレミアム洗車」をしたばかりの自動車が、サハラからの黄砂で見るも無残な姿に…。給油のついでに洗車しました。いつもならそれほど待たずにできるのに、洗車を待つ何台もの自動車がすでに並んでいました。考えることは同じなのですね。待ちに待って、ようやくきれいになりました。
ゼカリヤ書は、8章までが神殿の再建工事中に語られ、9章以降は神殿完成後に語られたものと考えられています。課題になっていた「大プロジェクト」をやり遂げた後の人々はどんな思いだったのだろうかと想像しながらここを読みました。
9章の初めの部分には、イスラエルの周辺の国々の名前が並びます。ハデラクやダマスコはイスラエルの北東に、ハマテは北に、そしてツロやシドンは北西の海岸沿いの交易都市です。さらに、アシュケロン、ガザ、エクロン、アシュドデは、南西のペリシテ人の諸都市。これらの周辺国家は、イスラエルにとって常に緊張関係にありました。攻め込まれて戦いを交える時もあれば、友好的な関係の時もありました。神はそれらの国々にさばきを下すと語られるのです。そしてここで語られていることは、ゼカリヤの時代から200年近く後、マケドニアのアレクサンドロス大王によって果たされるのです。
しかし、メシアはアレクサンドロス大王ではありません。彼は当時の世界制覇を成し遂げるとまもなく世界から消えてしまいます。真にイスラエルに、エルサレムに平和をもたらす勝利の王は、子ろばに乗って入場するのです。新約聖書の読者は、ここに描かれている義なる、勝利の王がナザレ人イエスだということを知ります。不思議な預言です。
世界の制覇をもくろむ王たちや権力者たちは、戦車や軍馬、そして弓を増強します。現代ならどのような兵器でしょうか。しかし、ろばの子に乗ってエルサレムに入城する王はそれらを絶えさせます。そしてこの方は、もう一度この世界に王の王、主の主としておいでになります。
「主よ、来てください。」