創世記 9章
青空が広がったので歩きに出かけました。しかし、買い物を済ませて出ようとすると暴風雨。仕方なくバスで帰ろうとしてチケットを購入。その途端、再び黒雲が払われて美しい青空が! ……バスで戻ったのですが、何となく損をした気分になりました。写真は豪雨前の空です。
箱舟から出たノアと息子たちを神は祝福し、かつてアダムに言われたと同じ「生めよ。増えよ。地に満ちよ」と言われ、すべての生き物を彼らにゆだねられました。
この章には、さらに神がノアたちと契約を立てられたことが記されているのですが、その契約にすべての生き物も対象とされていることに目が留まります。ここから私は、神は人間にすべての生き物を正しく治めるという責任を持たされたのだと考えます。環境が私たちの世界の大きな課題になっている現代、信仰者は創世記1−2章、そしてここでの契約をもとにして、考え生きることが求められていると思います。
虹が神と地との契約のしるしであるとは、なんと分かりやすいことかと思います。雨が上がり太陽の反対側には大きな虹が上ることがあります。その時神とノアとの契約を思います。神への信仰を持つ多くの人が虹によって、神のこの地へのあわれみ深い契約を思うことができるのです。
この章の後半に、父の醜態をさらすハムと、それを覆うセムとヤフェテとが対照されます。神の恵みを得、神の契約に置かれたものであっても、間違いは犯すのです。そのようなとき自分はそれをさらそうと思うのか、それとも…と振り返らされる出来事です。