イザヤ書 24章
日曜日、お借りしている教会と合同で収穫感謝礼拝を持ちました。会堂いっぱいの参加者に、用意した75部のプログラムが早々に無くなってしまいました。無くなったと言えば、礼拝後のティータイム。日本語教会の皆さんが作ってくださったおむすびや巻きずしが、一瞬のうちになくなったのです。私たちは、ドイツ教会の皆さんが焼いてくださったケーキをとても美味しくいただきました。
本章には、「地」ということばがたくさん用いられています。ここで語られているのは地が荒廃するということ。この章を1節を読んだら目を閉じて、書かれていることばの情景を想像してみるとよいと思います
1節後半の「その面をくつがえして、住民を散らされる」という表記から、地震を連想する人もいます。面をくつがえすほどの力が地にかかるというのは恐ろしい景色です。
2節は、くつがえされた地に住む者たちの大混乱を描いています。これほどまで地がひっくり返るようなことが起こると、社会を形成していたさまざまな立場の違い、地位、富のあるなしなどは意味をなさなくなります。
なぜこのようなことが起こるのかの理由は5節に明らかにされます。「彼らが律法を犯して定めを変え、永遠の契約を破ったから」なのです。神のことばを軽んじねじ曲げ、神との契約を簡単に破る者にふさわしい結果がこれなのです。6−13節には、自分たちがしたことでどのような結果を刈り取っているのかが描かれます。
14−16節に目が留まります。一方で主への賛美が湧き上がり、他方で預言者イザヤは嘆いています。読む私たちのことを考えてくれたならば、こんな混乱するような記述をしてほしくないと言いたいのですが、もしかしたら、やがて地に訪れる出来事と預言者が生きている時代のひどい有り様との間を瞬時に行き来しているのかもしれません。
神が人に、住むことをお許しになったこの地は、人間の神への背きのゆえにこれほどまでに荒れ果ててしまっていると迫ってくる章です。
「被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます」とのローマ人への手紙8章19節を思います。
写真*水道橋(ピシディアのアンティオキア)