みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神こそさばき主

2020年01月03日 | 詩篇

詩篇 75篇

 危急の時、人はことばを残します。聖書の詩篇は150篇から成っていますが、そのすべてには作者たちが生きていた時代の背景や事情が反映されています。そして、かなりの数の詩は作者自身が、あるいは作者が生きている国や社会が大きな危機の中にあった時に読まれました。本篇もその一つです.

 タイトル(共同訳聖書では1節)に「『滅ぼすな』の調べで」とあります。これは、57、58篇にも見られます。サウルにいのちを狙われユダの荒野を逃げ歩いたダビデたちが、逆にサウル王のいのちを奪うチャンスが訪れた時、ダビデの部下は一気にサウルを殺させてほしいと願いました。それに対してダビデは、「殺してはならない。主に油注がれた方に手を下さして、だれが罪を免れるだろうか」と言って殺害を許可しませんでした。1サムエル26章6―9節に記されている出来事です。この時の「殺してはならない」というダビデのことばにやがて曲が付き、その曲に乗せて本篇が歌われたというのが、このタイトルの可能性の一つです。

 本篇の主題は、「神がさばかれる」です。2節には「わたしが 定めの時を決め わたし自ら 公正にさばく」とあり、7節には「まことに 神こそさばき主」とあります。力を神から托された者は、それが神の民であるイスラエルであるかないかを問わずに、神を恐れて正しく事を進める責任があります。ところが、権力は魔物のように人をあらぬ方向へと動かします。4節と5節がそれです.

 力を持つ人は高ぶり、自分が意のままにすべてを操れるのだと思い違いをするのです。そうではない! と神が乗り出します。すべてを公正にさばくのは神お一人なのだと本篇は主張します。力さえあれば何でもできる、金さえあれば何でも手に入れられるとうそぶく者がいるのを、ここ数日のニュースを見聞きすることで確認します。

 しかし、彼らにもできないことがあります。神のさばきを免れ、それを力や金で曲げようとすることです。


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