出エジプト記 32章1−20節
火曜日午後のドイツ語クラス。お仲間が持ってこられた抹茶ケーキをいただきました。とてもおいしかったです。彩りの美しいケーキでしたので、写真を撮らずに食べてしまったのが残念!
モーセが山の上で神から十戒を受け、幕屋の製作についての詳細を知らされている間に、麓(ふもと)ではとんでもないことが起こってしまったというのが、この箇所に記されていることです。
民のことばからは、ここまで彼らを導き上ったモーセへの不信が根強かったことがうかがえます。彼らはモーセが彼らを導き上ったことは認めているのですが、そのモーセを導いて来られた主なる神については触れていません。見えない神に信頼することにおいて徹底できない彼らは、指導者に不満をぶつけるのです。
アロンは彼らに押し切られるようにして、金を集めて作った鋳物の子牛を彼らに示して、「これがあなたをエジプトの地から導き上った、あなたの神々だ」と言うのです。「神々だ」ということばに引っかかりを覚えます。
ここでアロンが作って民に示した鋳物の子牛が陳腐なものに映るのは、これまでに読んできた幕屋制作の緻密さや美しさを覚えるからではないでしょうか。しかも、すぐ前の箇所には神が名指して召したベツァルエルの記事がありましたので、一層貧しく見えてしまいます。
神は人にさまざまな賜物をお与えになり、その人を聖めてご自分の働きに用いられるお方です。アロンは自分に与えられた「分」を越えてしまったのです。一方、モーセは民にとりなします。それは、神との交わりゆえに神をよく教えてもらっている者がなしうるつとめなのです。 私のつとめとは…?