サムエル記第二 9章
水曜日は、エルツ地方から250キロほど西のシュマルカルデンという町に移動しました。この町は、宗教改革の時代にプロテスタント領主たち諸都市が結んだ同盟、その後神聖ローマ皇帝カール5世とシュマルカルデン同盟との戦争(シュマルカルデン戦争)で知られています。旧市街中心にあるゲオルク教会には、体を壊したルターが引きこもって祈っていたという小部屋があります。
ダビデは、サウルの家で生き残っている人に真実を尽くそうと考えました。1節の「ヨナタンのゆえに」とのことばに目が留まります。ダビデとヨナタンの深い友情はサムエル記前半を飾る美しい話です。ダビデは、亡きヨナタンとの間で交わした約束を守ろうとしたのです。
サムエル記第一20章14−15節には次のようなヨナタンのことばがあります。長いですが、そのまま引用します。
「『もし私がこれ以上生きるべきではないのなら、あなたは、主の恵みを私に施して、私が死ぬことのないようにする必要はありません。しかし、あなたの恵みを私の家からとこしえに断たないでください。主がダビデの敵を地の面から一人残らず断たれるときにも。』 ヨナタンはダビデの家と契約を結んだ。」
ヨナタンは亡くなりました。しかしダビデは、ヨナタンとの契約を守ろうとしました。それが「真実を尽くす」ということです。
ダビデの真実とは、王として国を治め、心にゆとりができたのでヨナタンの家のことを思い出したのではありませんし、幸せな者がそうでない者に良いことをするというようなことでもありません。ダビデとヨナタンとの間には主がおられ、二人は主の前で契約を結んだということが大切なのです。
ここを読んで、ダビデとメフィボシェテとの姿は、イエス・キリストと私たちとを重ね合わせているように思いました。まことの王の食卓にやがて私たちも連なることができるという希望を思いました。
*写真:レリーフ「暴力の犠牲者たち」エレミヤ29章11節を添えて(ゲオルク教会)