みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

バプテスマ

2018年05月24日 | マルコの福音書

マルコの福音書 1章1−11節

 きょうから8月号までで、マルコの福音書を読みます。主イエスの生涯を記す福音書を、「みことばの光」では比較的短い箇所に区切って読んでいきます。聖書本文はさっと読み終えてしまうことでしょうが、みことばに「立ち止って」主イエスの御思い、ことばの意味、登場する人々の動機や表情などを想像して読むことができたら、と願っています。

 イエスの福音のはじめは、メシヤが来る前に神が遣わすと旧約聖書で預言されているとおりに、バプテスマのヨハネが荒野で人々を悔い改めのバプテスマを宣べ伝え、授けていたことを記しています。5節には、「ユダヤ地方の全域とエルサレムの住民はみな」とありますので、ヨハネの名はいわゆる「中央」に響き人々を引き寄せていたことがわかります。

 しかし、ヨハネは神が自分に授けた使命、働き以上のことはしません。人気を利用して自分のほうに人を引き寄せるようなことをせずに、自分の後に来る「私よりも力のある方」、「聖霊によってバプテスマをお授けになる」方を指し示しています。そして、自分が何ものであるかということもわきまえているのです。ヨハネの姿勢に、神に仕える者の模範が示されています。

 イエスはヨハネからバプテスマを受けます。もちろん罪の悔い改めのバプテスマではありません。イエスは、神であられるのに私たちと同じようになられたお方、それがバプテスマを受けるということにおいても表されているのです。

 「私たちの大祭司(イエス)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです」というヘブル人への手紙4章15節を思い起こします。


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