みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

ただ一度だけ、一つのいけにえを

2019年10月29日 | ヘブル人への手紙

ヘブル人への手紙 10章1−18節

 月曜日はなかなか霧が晴れませんでした。「朝霧は晴れ」と言われていますので、いつ青空が…と期待しましたが、結局顔をのぞかせたのは午後になってからでした。「みことばの光」1月号を印刷に回すための校正をし終えてから、買い物を兼ねていつもの公園を通り抜けました。けれども帰り道はもう真っ暗。公園内は灯がありませんので、通りをたどって帰宅しました。

 この箇所を読み、「ただ一度だけ」「一つのいけにえ」「一つのささげ物」ということばに目が留まりました。律法が示すいけにえの限界が明らかにされるとともに、キリストがご自分をいけにえとして一度だけささげられたことによって完全な贖いが実現し、御子イエス・キリストを信じる一人びとりは聖なるものとされているというのです。

 この手紙を書いた人は、すでに9章12節で「キリストは、…ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられ」と語っています。そして、10章10節で「私たちは聖なるものとされています」と、駄目押しのように、キリストを信じる者は救われている、きよくされているのだと訴えているのです。

 「ジェットコースターのような信仰」ということばを聞いたことがあります。時には高められたとして喜び、逆にある時には自分はダメだと落ち込んでしまう信仰者の様子をたとえているのでしょうか。確かに、自分のすること、思うことなどを精査してみますと、「果たして…」と思うときもあります。けれども大切なのは、自分を取り巻く状況や、自分の感情の動きではなく、神が自分をどの立場に置いてくださったかという事実なのだということを、「ただ一度だけ」「一つのいけにえを」ということばが確認させてくれます。


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