みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神のことばか、言い伝えか

2024年02月08日 | マタイの福音書

マタイの福音書 15章1−20節

 どの章に何が書いてあるかを覚えようと、14章には5000人への給食、15章には4000人の給食と結びつけたことを思い出しました。

 15章はパリサイ人や律法学者たちとイエスとのやりとりから始まります。 言い伝えを守らないというイエスの評判がエルサレムにも伝えられ、「地元」のパリサイ人たちの要請によってエルサレムから、監視のため、訴えるための権威者が来たのです。

 彼らは、イエスと弟子たちが手を洗わないでパンを食べるのは、言い伝えを破っているとイエスに迫ります。ここでイエスは、「言い伝え」と「神の戒め」は違うと明らかにしておられます。そして、パリサイ人や律法の専門家たちが、言い伝えを守るために神の戒めを台無しにしている例を挙げておられるのです。

 イエスはもちろん、神の戒めを破るなどということはなさいません。なぜならそれらはご自分が定められたものだからです。むしろ神の戒めを与えた方として、それが言い伝えによってゆがめられていることを憂い、憤りさえ覚えていました。

 13節の「わたしの天の父が植えなかった木は、すべて根こそぎにされます」ということばに目を留めました。言い伝えが人々を縛り、自己中心を助長しているのだとしたら、天の父なる神が無くしてしまわれるのだから、彼らの憤りなど放っておくようにとイエスは弟子たちに言うのです。

 大切にしているのは神のことばなのか、その解釈なのか、どちらなのでしょう。


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