詩篇 38篇
風の強い月曜日。訪ねてくれた兄弟夫妻といろいろ話ができました。一ヶ月間の一時帰国もおよそ半分です。あっという間に終わりそうです。
「みことばの光」では、しばらくマタイの福音書を読み進めてきましたが、2月の終わりの三日間は詩篇を味わいます。
38篇の表題が「ダビデの賛歌」とあります。これほどまでダビデが神の激しい怒りに会う出来事といえば、ウリヤの妻バテ・シェバと道ならぬ関係を持ち、挙げ句の果てにウリヤを殺してしまったことを思います。
ダビデの人生における最大の汚点だと言えるこの出来事は、サムエル記第二11−12章に記され、罪を悔い改めるダビデの祈りで知られているのは詩篇51篇です。本篇からは、罪を犯したダビデの孤独が伝わってきます。
11節に目が留まります。罪のために神の憤りを身に受けるダビデのことを、愛する者、友、近親者は遠く離れて見ているだけなのです。犯した罪の結果はこのようにして自分自身が身に負わなければならないのですが、あまりにも孤独な姿がここには映し出されています。さらに、ダビデの敵たちはこの時とばかりに、彼を追いやろうと企ててさえいます。
神の前に罪を犯したダビデは、神にあわれみを乞い願います。ここに、罪人のなすべき生き方があります。神に罪を犯した彼は、神を待ち望むのです。どんなに神を悲しませ、怒らせることをしても、ダビデは自分と神とを「私」と「あなた」と呼びます。
神を悲しませ、怒らせるようなことをしたときこそ、「主よ 私の救いよ」と助けを願い求めるのだという、促しがここにあります。