みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

身勝手な理屈

2024年02月17日 | マタイの福音書

マタイの福音書 19章1−15節

 病院の帰り道、梅林で名の知られた地を訪ね、さらに駅舎がユニークな駅を訪問。満開の梅は春の到来を告げています。

 イエスはガリラヤ地方からユダヤに入られました。エルサレムへの道です。そこでイエスを待っているのは十字架、そして復活です。その前に待っていたのは、さまざまな問いかけ。しかもそのほとんどは、真理を知りたいという思いから出たものではなく、イエスを陥れるための罠でした。

 イエスは、「あなたがたはわたしを罠に陥れようとしているので、答える義務はない」と無視したり、はねのけたりすることもできました。 しかしそれと知りながら、彼らの問いかけに正面から答えておられるのです。4−6節は、結婚式で司式者によって読まれる箇所。ということは、結婚とは何かについての答えがここにあるのです。

 ですから、イエスが離婚をよしとしておられないことは明らかなのです。けれども、イエスの答えを聞いたパリサイ人たちは、モーセの離婚状を取り上げて迫ります。この態度に、彼らの魂胆が透けて見えます。自分の都合で離婚するための抜け道のようなものを考えていたのでしょう。

 8節のイエスのことばに目が留まります。離婚状があるということは、初めから離婚ありきなのではないのです。しかし人は自分の理屈や論法で、離婚の「合法性」をでっち上げてしまいます。6節の「神が結び合わせたもの」は、結婚の大切な前提でもあるのです。


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