士師記 20章17−35節
9月を迎えました。8か月が短く感じました。もう2023年は残すところ4か月です。
「みことばの光」では士師記20章は三回に分けて読みます。圧倒的な数でベニヤミン部族に立ち向かったイスラエルは、二度も敗北を喫してしまいます。不思議に思うのは、イスラエルは主に伺い、「ユダが最初だ」ということばを聞いて戦ったのに敗れてしまったということです。
主の命、主の導きの中にあれば必ず成功するというのが普通ですが、ここではそうではありませんでした。二度目も主の「攻め上れ」とのことばによって戦いに臨んだのに、またしても敗れてしまうのです。なぜ主なる神が「攻め上れ」と命じたことばに従ったのに彼らが破れてしまったのかの理由は明らかにされていません。
しかし彼らは、二度の敗北を経験して、主に尋ねても無駄だという結論を持たなかったのです。彼らの取った態度こそ、この時のイスラエルには必要なことだったのかもしれません。26節の「主の前に座り」ということばに目が留まりました。何かを願う時、主の前に座すことを忘れてはいないだろうかという問いかけをここから受けます。
「主の前に座り」は、何もかもが自分サイドからのもの、自分の願うように答えていただくことを慌ただしい中で期待してしまうことがあると諌めています。35節に「主がイスラエルの前でベニヤミンを破り」とあります。「イスラエルが主の助けによってベニヤミンを破り」とは書かれていないのです。