みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

通るべき悲しみ

2023年09月16日 | コリント人への手紙第二

コリント人への手紙第二 7章

 月一度の家庭集会、昨日は電車を乗り継いで往復しました。乗り継ぎの駅で、上りのエスカレーターが止まっていました。足の怪我が回復しつつある妻が、階段の上り下りに苦労しているので大変そうでした。もう一人の方は杖を突きながら階段を上っておられ、それも大変そうでした。普段は気にも留めないことですが、不自由になると途端にいろいろなことに気づきますね。

 パウロがテトスが届けてくれるコリント教会についての報告を、どんなに首を長くして待っていたか、さらに厳しい手紙を書いた彼は、コリントの人々がそこに記されていることばに耳を傾けて為すべきことをしたのか、そうでなかったのかパウロは気が気ではありませんでした。それが、5節に表れています。これほどまで苦しむのだということは、パウロがコリント教会をどれほど愛し、心にかけていたのかを伝えています。

 テトスの報告は、パウロの不安を追いやってしまうものでした。9節のことばに目が留まります。「悲しんだからでなく、悲しんで悔い改めたから」と、さらに「神のみこころに添って悲しんだ」とパウロは書くのです。さまざまな悲しみがあります。別離、喪失など…。災害や戦争、けんか、不和、病気、不信などが悲しみをもたらすのです。

 しかし、人はどうしても通らなければならない悲しみがあるのだと、パウロは語ります。それは罪の悲しみです。人が創造主である神から離れていること、神の心を知らないでいることこそ、誰もが味わわなければならない悲しみなのです。しかし、自分がその事実に気づくときに、悲しみは悔い改めを、そして新しいいのちへとつながります。

 今何を悲しんでいるのだろうかと、自分に問いかけてみたいと思います。それは神の心にかなうものかそうでないかと……。


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