コリント人への手紙第二 12章1−10節
こちらのスーパーで売られているカボチャは、大きいものから小さいものまで色も多彩です。Hokkaidoという名前のオレンジ色のカボチャが人気ですが、日本風に甘辛にするとちょっとがりがり感が気になります。グリルやスープにするととても美味しいです。それにしてもなぜ、Hokkaidoなのでしょうか。
パウロがここで書いている「一人の人」とは、自分のこと。2−4節には信じがたい不思議な体験をしたことを語ります。「天に引き上げられた」「だれもできないことを体験した!」というのです。しかし彼はここで、「私は天に引き上げられた」「私は誰もできない体験をした」とは書きません。
どうしてもったいぶったような書き方をするのか、「それ私だ!」と明らかにすれば、偽教師たちを黙らせることができますし、コリント教会の心を自分のほうに寄せることもできるのに…と思うのに、彼はあえて自分だとは言いません。しかし、5−6節を読むならば、そのような特別な体験をしたのは彼なのだということは明らかです。
パウロは、偽使徒、偽教師と同じ土俵の上で自分が愚かになりました。しかし彼はここで、誇りとするものがあればあるほど、人は高慢という罪の餌食になることを知っていました。神はパウロを知っておられました。そこでパウロは神から「肉体の一つのとげ」を与えられたのです。
弱いよりも強いほうがよいという理屈は、この世界の常識として受け入れられていること。しかし、弱さを持っている、いや、神が弱さを賜わっているということによって、自分の在り方が保たれているのだと、ここを読んで考えています。