みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

最大の願い

2018年06月20日 | 詩篇

詩篇 27篇

 夕方いつもの公園を歩いていると、犬を連れたドイツの方が「こんばんは!」と日本語であいさつしたのにびっくり。こちらがドイツ語で「日本語が話せるんだ!」というと、相手の方は日本語で「ちょっとね」と答えるというおもしろい会話でした。立ち話になって、話題は終わったばかりのワールドカップ日本戦。「それにしても日本は良い試合をしたね」と、ニコニコと話をしておられました。勝ちましたね、日本! それにしても今回のワールドカップは番狂わせがたくさんあります。

 27篇を読んで、「ただ一つの願い」(one thing have I deseired)というゴスペルを口ずさんでいました。4節をもとにした曲ですね。けれども1−3節、また11-12節を読むと、ダビデはこの時大きな危険にさらされていたことがわかります。

 そのような中で彼は、安全な隠れ家を持ち、そこに住まうことをただ一つの(最大の)願いとして神に祈っているのです。主の家に住んでダビデは何をしたいのでしょうか。「主の麗しさに目を注ぎ、その宮で思い巡らす」と歌います。「さあ、いらっしゃい!」と心からダビデを迎えてくださる主の麗しさ、おもてなしの素晴しさを味わうことと、そこで迎えられる自分はどのようなものなのだろうかと思い巡らすということでしょうか。

 ナチスによって強制収容所に入れられながらも、奇跡的に生還したコーリー・テンブームは、絶望的な強制収容所の中にあっても、主の麗しさに目を注ぎ平安を取り戻すことのできる主の家があるのだと「私の隠れ家」という本で証ししています。

 主の家はもちろん、やがて神の子どもたちが迎えられる所のことですが、ダビデのように嵐のような中にあっても、求めるならばそこに主の家が来るのです。そのことをいつも最大の願いとしているのだろうかと…。


2011-2024 © Hiroshi Yabuki