みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

宣べ伝えなかったなら、私はわざわいだ

2013年09月27日 | コリント人への手紙第一
コリント人への手紙第一 9章1-18節


 「寒い」ということばがこの秋初めて出た朝でした。台風20号が寒気を引き寄せました。

 9章前半で、パウロは自分自身のことを話します。使徒としての自分が主張できる権利について、しかし、彼はその権利を脇において、自ら働きつつ福音宣教に励んでいると言っているのです。

 心に留めたのは、「もし福音を宣べ伝えなかったなら、私はわざわいだ」とのことば。
 パウロは、福音を宣べ伝えるのは自分の誇りではないと言います。それは自分がどうしてもしなければならないことであり、そのために主は自分を使徒としてお召しになったのだと自覚しています。

 「みことばの光」の「考えよう」に、「福音を伝えることに、パウロのような情熱や使命があるだろうか。もしそれが欠けているとしたら、何ゆえだろうか」とあります。自問してみました。様々なことに時間を割いているけれども、さて自分は福音を宣べ伝えるのにどれほどの時間を費やしているのかと…。

 一方で、「私はすべてのことを、福音のためにしています」(9章23節)とのことばを思い浮かべました。このことは福音のため、あのことはそうではないと、分けて考えるのではなくて、何をするのも、自分が召された福音のためにしているのだという思いを新たにしました。すると、どうしてこんなことを、というつぶやきがどこかにいってしまうのではないかと…。

    


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